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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > TUBEの“音楽的爽やかさ”の源流
あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#26

なぜTUBEは“爽やか”なのか 80~90年代のサウンド探求と「バレアリックなスタジアムロック」

 ビート&アンビエント・プロデューサー/プレイリスターのTOMCさんが音楽家ならではの観点から、アーティストの知られざる魅力を読み解き、名作を深堀りしていく本連載〈ALT View〉。今回は、夏の定番となるヒットを数々生んだTUBEについて、その国民的なイメージの背景にある80~90年代の音楽的な探求について解説していただきます。

TUBEのサウンドが持つアンビエント~バレアリック的な側面

なぜTUBEは“爽やか”なのか 80~90年代のサウンド探求と「バレアリックなスタジアムロック」の画像1
TUBE

 2017年の秋、Twitter(現・X)上の一部の音楽好きの間で「TUBEとブライアン・イーノ」に関するミーム(おもしろ動画)が流行した。

 これは、TUBEが代表曲「あー夏休み」(‘90)を熱唱するテレビ出演映像を使ったもので、音声だけが、アンビエント音楽家であるブライアン・イーノの「Music for Airports 1/2」(‘78)という楽曲に差し替えられている。抑制されたピアノとコーラスが織りなす静謐な音空間と、それとは対照的なTUBEのボーカリスト・前田亘輝の熱くハイテンションなステージアクションのギャップが面白みを誘うという趣向で、ある意味で両アーティストへの敬意を欠く低俗なコンテンツにも思える。一方で実は、私はそこに音楽的なギャップをあまり感じなかった。

 というのも、私はTUBEのサウンド──特に90年代のシンセサイザーの使い方に、アンビエントや、「バレアリック」と呼ばれる美しく爽やかなクラブミュージックの領域にも通じる、強い美意識を長らく感じてきたためである。例えば、以下の「夏を待ちきれなくて」(‘93)「夏を抱きしめて」(‘94)のイントロの響きや、サビ頭の鮮烈なステレオ感の広がりにぜひ耳を傾けてみてほしい。

 彼らのこうしたサウンドの背景には、鍵盤楽器および「サウンドアドバイザー」を務めた小野塚晃の功績がある。彼がサウンドアドバイザーとしてクレジットされているアルバム、具体的には『N・A・T・S・U』(‘90) から『Melodies & Memories』(‘94) までの時期の作品は、それ以前と比べ、シンセサイザーの音色がより透明感を持つ洗練されたものに統一されており、サラウンドの空間的な広がりが意識された、より立体的なサウンドへと大幅な進化を遂げている。

 シンセサイザーやエンジニアリング面での貢献が生み出す強い清涼感と、ソウルフルな前田のボーカルを軸に展開される熱くハードなバンドサウンド。ある意味で正反対の要素が唯一無二のシナジーを発揮したことで、小野塚がサウンドアドバイザーとしてクレジットされていた時期のTUBEは、セールス面で右肩上がりの上昇を遂げていく。当時の彼らはデビュー10年目を目前にした、中堅からベテランに差し掛かるような段階といえたが、そのタイミングでセールス上の最盛期を迎え、その人気を現在までに通じる盤石なものにしていったのだ。

 彼らはどのような音楽的変遷を経て上述のような90年代のサウンドに辿り着いたのか。本稿はその背景を明確にし、サウンド面からのTUBEの再評価を促す試みだ。

「シーズン・イン・ザ・サン」が重要である理由

 TUBEは1985年、歌謡曲~アニメソング方面で豊富な実績を持つヒットメイカー・鈴木キサブローを作曲に起用したシングル「ベストセラー・サマー」でデビューを飾る。当時の彼らはテレビ出演時にメンバー全員が青と白のストライプの衣装で出演することもあり、チェッカーズなどの先行事例に通じる「アイドル的な見せ方」を意識的に取り入れたプロデュースを受けていた。

 このデビューシングルおよび2ndシングル「センチメンタルに首ったけ」は、高いテンションで駆け抜けるファンキーな歌謡ポップスのテイストが色濃い。これ自体は本稿の趣旨とはややズレるものだが、こうしたテイストは「あー夏休み」以降のTUBE作品における柱の一つとなる「ラテン歌謡」にも通ずるところがあり、彼らの重要なルーツの一つと言えよう。

 そして、彼らの大きな転機となったのが、高い知名度を誇る3rdシングル「シーズン・イン・ザ・サン」(’86)である。

 作編曲を担当したのは織田哲郎。90年代前半、TUBEを含め多数の関連ミュージシャンがヒットを飛ばし一大旋風を巻き起こす「ビーイング・ブーム」で中心的なソングライターとして活躍することになるが、その彼にとっても初のヒットナンバーとなった。先のシングル群に比べてテンションを抑えた122bpm前後のミドルテンポの中で、クリアなギターカッティング、控えめにR&B的な跳ね・グルーヴを演出するパーカッション、清涼感のあるコーラスワーク、ボーカルの間を縫って彩りを添えるシンセサイザーのオブリガートといった要素が絡み合う。こうした音楽性の多くは、前述した90年代以降のサウンドにそのまま通ずるものである。

 本曲は、サビの頭で伴奏が「Stop」という歌詞の通りに静止し、前田のハイトーンボイスが大きく際立つアレンジも秀逸であった。その広い音域や声量はもちろん、一音一音の音程に自由な装飾音を加える操作俗に「フォール」「しゃくり」「こぶし」と呼ばれるもの) や強いビブラートでロック~ソウル的なニュアンスを自由に加えていく前田の情報量豊富なボーカル技術は、当時のアイドル然とした売り方の範疇から大きく逸脱しており、紛れもなく「実力派ボーカリスト」と呼ぶに値するものである。このアレンジは、そうした彼の能力を分かりやすく見せつける効果を担っていたように思える。

 こうして達成された、「清涼感・爽快さのあるサウンドデザイン」と「高い歌唱力を持つ熱いボーカル」の両立は、その後も「SUMMER DREAM」(‘87)などのシングルを通じて育まれ、前述した90年代の更なる成功の土台となっていった。

 ただし、ここまでの説明にはまだ重要な点が欠けている。80年代の末まで彼らのシングルA面曲はバンド外からの提供曲で占められていたが、1989年を境にメンバー自身による作詞・作曲体制に移行し、さらにほどなくして編曲面もバンドが単独名義で担うようになっていくという事実だ。

 ここからは、彼らがバンドとしてより強い自我を獲得し、「黄金の90年代」を築いていったプロセスをより詳細に見ていこう。(1/2 P2はこちら

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