森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
#映画 #インタビュー #パンドラ映画館 #森達也 #井浦新
虐殺が始まったきっかけは何だったのか?
香川から来た薬売りの一行を率いる沼部新助を演じるのは、今年公開された『怪物』での熱演も記憶に新しい永山瑛太。被差別部落出身という身分差別に苦しみながらも、家族や仲間を励ます、気骨のある親方役になりきっている。
故郷では田畑を持つことが許されず、行商の旅を続けることでしか生きていくことができない。そんな流れ者の新助たちだが、お遍路中の母子におにぎりを手渡すシーンが盛り込まれている。お遍路姿の母親は、手が不自由なハンセン病患者だ。新助の人柄を描くのと同時に、長く続いた日本の差別構造も示した場面となっている。
森「この映画は、被害者と加害者という対立構造を描くものにはしたくなかった。実際にはもっと複雑です。それは差別の構造も同じ。多重で多面的な世界を示すためにも、井浦新さんと田中麗奈さんが演じる朝鮮帰りの夫婦の存在は重要でした。また、差別する側と差別される側という二項対立の物語にもしたくなかった」
虐殺が始まる瞬間は、目を離すことができない。行商団は自警団に利根川を渡ることを阻まれ、茶屋と神社の前で拘束状態にされていた。何がきっかけで、誰が最初の一撃を与えたのか? 千葉県在住のノンフィクション作家・辻野弥生氏の労作『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房新社)では、行商団の1人が近くの農家まで煙草の火を借りようと立ち上がったところを、「逃げよる!」「殺っちまえ!」と殺戮が始まったという文献を載せている。辻野氏の著書とは異なる形で、森監督は劇映画として独自の描き方をしている。
森「最近の洋画は『Based on a true story』というクレジットをよく見かけますが、この映画は実在の事件にインスパイアされたフィクションドラマです。史実をなぞる再現ドラマではありません。撮る上で気をつけたのは、『朝鮮人に間違えられて殺された、かわいそうな日本人』との解釈を、映画としてどのように拒絶するか。日本人でなければ殺してもいいわけがありません。そこをクリアすることが大前提でした。虐殺が始まるきっかけとなった言葉を誰が口にするのか、最初の一撃を与えるのは誰なのかは重要です。そこはぜひ注目してほしい」
キーワードは、不安と恐怖、そして集団
虐殺が起きた背景には、大地震による恐怖と不安があった。それらの要素が日韓合併(1910年)以降の朝鮮人に対する日本人の偏見や後ろめたさといった負の感情と結びつき、朝鮮人狩りが始まることになる。
森「単純に震災のショックだけでは、虐殺は起きなかったと思います。キーワードは、不安と恐怖、そして集団です。普段は優しい人たちが集団化したことで、暴走してしまった。僕が『A』や『A2』から描いてきたテーマと共通するものです」
虐殺シーンは、上映時間2時間17分のうち後半40分間にわたって繰り広げられる。利根川を血に染めた凄惨な場面を真正面から描いているが、決してグロテスクな描写にはなっていない。作り手としての矜持を感じさせる。
森「虐殺シーンは、いちばん暑さの厳しい時期にほぼ2日間で撮り切りました。大勢のエキストラにも参加してもらい、大変でした。あまりの暑さでボーとしてしまい、詳細は覚えていません(苦笑)。撮る前には、竹槍が体を貫くなどのスプラッター的描写も考えましたが、予算と時間の都合もあるのでやめました。結果的にはゴテゴテしたものにならず、よかったと思っています」
集団化した暴徒の恐ろしさは、観る者を充分に震撼させるに違いない。
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