音楽ドキュメント『シーナ&ロケッツ 鮎川誠』 愛することがロックだったマコとシーナの伝説
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ロックは世間の常識にあらがうための武器だと、ずっとそう思ってきた。でも、ロックはもっと大きくて、ずっと深いものらしい。そう教えてくれたのは、福岡出身のロックバンド「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠とシーナだった。2人の生涯を追ったドキュメンタリー映画『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』を観て、ロックにはつまらない常識を否定する力以上に、生きることを肯定する強く、深い力があることを知った。
1978年に結成されたシーナ&ロケッツは、不思議なバンドだった。九州大学を卒業した長身のギタリスト・鮎川誠は、ブルースロックバンド「サンハウス」として一度デビューしており、30歳での2度目のデビューだった。その妻・シーナは女性ヴォーカルの先駆者で、デビュー時すでに2児の母親でもあった。
歌謡曲とアイドルソングしか知らなかった自分は、『夜のヒットスタジオ』『ミュージックフェア』(フジテレビ系)に出演したシーナ&ロケッツに驚いた。彼らが歌う「ユー・メイ・ドリーム」が、あまりにも異質な音楽だったからだ。
福岡のRKB毎日放送に勤める寺井到監督の劇場デビュー作『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』は、あのとき感じた異質さの正体を解き明かしてくれる。シーナは2015年2月に亡くなり、シーナ亡き後もバンド活動を続けていた鮎川も2023年1月に永眠に就く。でも、2人が残した音楽と言葉の数々が、本作にはきっちりと記録されている。
「ロックするってことは、着る服も、生活も、食べるものも、全部含まれる」
シーナはそう語る。3人の娘を育て上げたシーナにとっては、音楽活動だけでなく、育児も家事も、生活のすべてがロックだった。
2014年に子宮頸がんであることを告知された際のシーナの言葉には、滂沱せずにはいられない。
「マコちゃんをお守りするのが、私の役割なのに……」
自分の体よりも、理想のロックを追い求める夫・鮎川誠のことを心配するシーナだった。彼女にとっては、鮎川誠を愛することが最高のロックだった。
シーナ&ロケッツに感じた異質さの正体は、あまりにも純粋な愛だった。
余命宣告を受けてもライブ活動を続けたシーナと鮎川誠
寺井監督が音楽情報番組『チャートバスターズR!』の企画・演出を務めていたことから、ゲスト出演した鮎川誠との交流が始まった。シーナが亡くなった際には、シーナの追悼番組を放映。さらに、精力的にライブ活動を続ける鮎川の姿を追ったドキュメンタリー番組『74歳のロックンローラー 鮎川誠』を2022年に制作した。
地元で好評を博した『74歳のロックンローラー 鮎川誠』のロングバージョン『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』が2023年2月にTBS系で全国放映される直前に、鮎川は急逝。鮎川は、寺井監督にも膵臓がんで余命宣告を受けていたことを告げていなかった。寺井監督が関係者への取材を重ねる形で再構成したのが、劇場版となる本作だ。福岡から上京した寺井監督に、制作内情を語ってもらった。
寺井「シーナさんが亡くなられ、シーナさんの四十九日法要のために北九州市若松に鮎川さんが帰ってきた際にインタビューさせてもらった追悼番組の素材が、映画の柱になっています。シーナさんが大好きだった若戸大橋のすぐ近くで、2~3時間にわたって、シーナさんとの出会いから鮎川さんに語ってもらいました」
これまでの多くの取材記事では、シーナが「私も歌いたい」と言い出し、鮎川が快諾したことでシーナ&ロケッツが結成されたと語られてきたが、本作に収められたインタビューでは不安もあったことを鮎川は正直に打ち明けている。
寺井「夫婦で『お前、かっこいいぜ』『あなたもよ』なんて言い合っていたら、夫婦漫才みたいに思われるんじゃないかという迷いがあったそうです。でも30歳を迎えていた鮎川さんにとっては、最後のチャンス。世間からどう見られるのか気にしている場合じゃなかった。とにかく自分たちの本当にやりたいことをやろうという覚悟だった。挑戦したからこそ、運命の女神も微笑んだんじゃないでしょうか。その結果、僕たちの知るシーナ&ロケッツの歴史があるわけです。シーナさんが亡くなって間もなかったこともあり、鮎川さんは普段よりも生々しく語ってくれました。シーナさんとの思い出を、シーナさんの故郷でしっかりと振り返りたいという想いがあったのかもしれません」
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