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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.749

カルト教団が題材のアニメ『オオカミの家』、アリ・アスター製作総指揮『骨』と同時併映

カルト教団が題材のアニメ『オオカミの家』、アリ・アスター製作総指揮『骨』と同時併映の画像1
悪夢のような不気味な世界を描いたアニメーション『オオカミの家』

 南米チリに実在した「コロニア・ディグニダ」は、アドルフ・ヒトラーを崇拝したドイツ人パウル・シェーファーが設立したカルト系コミュニティとして知られている。入植家族や地元の子どもたちをシェーファーは巧みにマインドコントロールし、1960年代から40年以上にわたり、彼らの労働力を搾取し、児童への性的虐待を重ねた。

 この「コロニア・ディグニダ」を題材にしたストップモーションアニメが、チリのアーティストデュオ、クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ監督による『オオカミの家』(原題『La Casa Lobo』)だ。コロニアから逃げ出した少女・マリアが、隠れ家で2匹の子豚を育てながらサバイバルする様子を描いた74分間となっている。

 一見するとかわいらしいアートアニメーションなのだが、パウル・シェーファーをモデルにしたオオカミの呼び声に、マリアは深く怯えている。コロニアでの虐待がフラッシュバックするのか、マインドコントロールによって自我を失っているのか、マリアが見ている景観だけでなく、マリア自身の形状も一定せず、絶えず変化していく。観ている我々まで、不安な気持ちになってしまう。

 世界各国で大ヒットしたホラー映画『ヘレディタリー/継承』(18)や『ミッドサマー』(19)のアリ・アスター監督は、悪夢的世界を描いた『オオカミの家』を絶賛し、レオン&コシーニャの新作アニメ『骨』の製作総指揮を務めた。『骨』はわずか14分の短編ながら、こちらも強烈だ。ひとりの少女が、亡くなったチリの政治家たちを呪術によって甦らせようとするもの。同時上映される『オオカミの家』と『骨』は、現実社会をモチーフにした底知れぬ不気味さを体感させてくれる。

悪人側の視点で描かれたアートアニメ

カルト教団が題材のアニメ『オオカミの家』、アリ・アスター製作総指揮『骨』と同時併映の画像2
コロニアから逃げ出したマリアだが、オオカミの視線を常に感じていた

 エマ・ワトソン主演の『コロニア』(15)では、パウル・シェーファーが長きにわたってチリに君臨したピノチェト独裁政権と結び付き、反政府支持者たちはコロニアの地下室へ送り込まれ、拷問や洗脳に遭っていたことが描かれていた。今年6月に公開された『コロニアの子供たち』も、シェーファーがかわいい男の子たちをグルーミングし、性行為の対象にしていたなど、被害者たちの証言をもとにした劇映画となっている。チリの歴史を多少でも知っておくと、『オオカミの家』と『骨』はより興味を持って楽しめるだろう。

 2022年からチリ大学に客員研究員として留学し、ラテンアメリカ映画の研究をする新谷和輝(にいや・かずき)氏に、作品の政治的背景やレオン&コシーニャについて語ってもらった。

新谷「僕はアニメーションは専門ではありませんが、レオン&コシーニャによる『オオカミの家』は今まで見たことのないタイプの珍しいアニメーションだなと感じました。シュールな作風は、チェコのアニメーション作家ヤン・シュヴァンクマイエルを思わせることはよく指摘されています。レオン&コシーニャは、デヴィッド・リンチ監督からも影響を受けたと語っています。『オオカミの家』は、コロニア・ディグニダのプロパガンダ映画として製作されたという設定もユニークです。つまり、パウル・シェーファーの視点から描かれた世界でもあるんです。悪人側の視点から描かれたアニメーションというのは、かなり珍しいのではないでしょうか」

 主人公のマリアは、かわいがっていた子豚たちを自分好みの少年少女として育てようとする。コロニアの閉ざされた世界しか知らないマリアは、自分が受けたマインドコントロールのノウハウを無意識のうちに子豚の飼育に使おうとする。カルトとは決して特別なものではなく、どんな環境でも起きうることが分かる。

 レオンとコシーニャは共にチリ出身で、1980年生まれ。2018年に制作した初の長編アニメ『オオカミの家』は、ベルリン映画祭でカリガリ映画賞、アヌシー国際アニメーション映画祭の審査員賞などを受賞した。レオン&コシーニャの他にも、『Bear Story』(14)や『Bestia』(21)といったチリの短編アニメが多くの映画賞を受賞しており、チリのアートアニメーションは国際的に注目を集めていると新谷氏は語る。

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