『日ぐら』『だが情』が印象的だった春ドラマを総括! 一番ガッカリだった作品は…
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春ドラマの最終的な「ガッカリ」ドラマは…
「ドラマ序盤ランキング」では高畑充希×田中圭『unknown』(テレビ朝日系)をガッカリドラマ1位に選んだが、これが見事なトンデモドラマだった。当時この序盤ランキングの記事に「連続殺人事件のほうは本当にただのサイドストーリーで、このドラマのメインはラブコメなのだろう」と書いたが、大方の予想どおり、行動が不自然すぎた加賀美(町田啓太)が連続殺人事件の犯人で、ただ多数の死者を出しただけに終わった。しかも、虎松(田中)の父親・彪牙は井浦新がシークレットキャストだったりと意味深だったため、この父親が20年前に起こしたとされた一家惨殺事件には何か別の真相があるのかと思われたが、何も説明されずに終わってしまった。
そもそも、加賀美は吸血鬼を勝手に憎み、吸血鬼の仕業と見せかけて吸血鬼たちを殺していったのだが、最初の被害者は友人だったために納得がいくものの、2人目から4人目の被害者までは加賀美はどうやって吸血鬼であると気づくことができたのだろうか。てっきり吸血鬼のために血液を流通させている組織の名簿でも手に入れたのかと思いきや、こころ(高畑)のことは途中まで吸血鬼と気づいていなかった様子で、その可能性はなくなった。またどうやって(吸血鬼の仕業と見せかけるために)失血死させていたのかなど疑問は尽きなかったが、それに答えてくれるような脚本ではなかった。
一部では吸血鬼はマイノリティのメタファーなどと高尚な言説も出ていたが、そんな大それた主張を込めた作品のようには思えない。そもそも、現代では平和的な方法で血を手に入れられるからといって、吸血鬼が人間の血液を摂取して生きているのには変わりなく、それはつまり、かつては吸血鬼は人間を襲って暮らしていたと考えられるわけで、そういう存在を現実のマイノリティと同列に並べるのはきわめて失礼ではないだろうか。そもそも吸血鬼絡みの設定(怪力、日差しに弱いなど)自体が途中からいい加減になっていたが……。
結局、こころと虎松が幸せなので万々歳、という終わり方になったが、最後の最後までカップルらしかったのはこころと加賀美のほうだった(こころは加賀美を最後まで信じようとするが、虎松に犯人の可能性が浮上するとなぜか信じることなく疑いの目を向けた)あたりも含め、いったい何を見せられたのかという気持ちにさせられたドラマだった。キャストの演技は申し分なく、また顔ぶれもよかっただけに、変に吸血鬼やサスペンスの要素を入れることなくラブコメとして徹底していればもう少しおもしろかったかもしれない。
『unknown』以上にガッカリした『ペンディングトレイン』
『unknown』は序盤ランキングですでにガッカリ1位に選んでいたため、やはりか……という思いが強かったが、最終回で一気にガッカリ度を上げたのが山田裕貴主演の『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』(TBS系)だった。『ペンディングトレイン』は物語が展開するスピードがかなりゆったりだったが、6号車の人々が登場したあたり(第5話)からようやくおもしろくなってきそうだという予感がしたものの、2026年に戻ってからは急失速。駆け足で進んだ2026年編は、特に脚本から「描こうとするもの」を表現しきれない力不足感が強く伝わった。
そもそも〈予測不能のヒューマンエンターテインメント〉と謳っていたあたり、SFを真剣にやる気はなかったのだろうが、それにしてもいい加減すぎるSF要素には失笑してしまった。つくばエクスプレスの車窓から見えるところで「超新星爆発」が起き、「この時発生した10億度以上ものエネルギー」が地震を引き起こして時空がゆがんだのがタイムワープの“真相”のようだが、10億度以上のエネルギーが発生すればまずその時点で関東一帯が荒野となってしまうだろうし、それがたとえ問題なかったとしても、こんな一大事件を世界が騒がないはずがない。当然、電車の2車両だけが忽然と姿を消したことの関連性を疑う人はもっといていいはずだ。それ以外にも、5号車と6号車が同じタイミングでワームホールに飛び込んだのにもかかわらず、時間差で(それも別々の場所に)2060年に飛ばされた理屈もつかないし、ワームホール発生時の磁力(?)を猫パンチしたら握力を失ってしまったなど、謎理論ばかりが横行するのだ。ここまで適当なら、いっそのこと「神隠し」とか「呪いの力」のようなファンタジー要素にしてしまったほうがよかったように思う。前期も幽霊の話だったわけだし。
SF設定がいい加減だったことは置いておいても、数々の意味深な要素が、ただ視聴者を引き付けるためだけの“釣り”でしかなかったことにもゲンナリさせられた。いや、予感はあった。「北千住駅前で起こった殺傷事件」の犯人が6号車に乗り込んでいた可能性が早くからセリフで示唆されており、第3話ラストでは加藤(井之脇海)が刺される事件が起きるのだが、結局これはミスリードで、事件の犯人は2060年に来た直後に6号車のリーダー・山本(萩原聖人)によってすでに殺されて埋められていたのだ(しかも刺した加古川は「敵だと思った」という何とも言えない釈明で結局許されてしまうというモヤモヤする展開)。そしてドラマ初回冒頭にあった、赤ん坊を抱えて走る紗枝(上白石萌歌)のシーンも、紗枝らの意味ありげなモノローグも、田中(杉本哲太)がつくったわら人形がワームホールに吸い込まれたことも、何かの伏線のようでいて結局大した意味はなかった。むしろ、初回冒頭のシーンに合わせるために、最終回で紗枝に赤ん坊をずっと抱えさせるという謎展開にしたのではないかと疑ってしまうほどだ。また、最終回では隕石衝突の危険が依然としてあるために5号車の面々がスイスに避難する展開となるのだが、彼らは、隕石衝突後の未来である2060年に南千住の変電所が無傷だったことを忘れてしまったのか……といったツッコミどころも少なくなかった(そもそも無傷だったのが不自然なのだが)。
本ドラマのプロデューサーは、電車で誰もが携帯電話の小さい画面を見つめている状況を見たことを本作が生まれたきっかけのひとつとして挙げており、第9話での“ネット上の誹謗中傷”的な展開や、最終回での直哉(山田裕貴)の熱弁はわからなくもないが、ちょっとあまりに唐突すぎたし、SNS社会への警鐘というテーマがあったのなら、2060年編をもっと早く終わらせ、2026年編に移行してもっと掘り下げるべきだっただろう。ネットニュースのコメントに片っ端からマイナス評価をしていた明石(宮崎秋人)の初回の行動についても回収したほうがよかったのではないだろうか。そもそも第9話での展開はやや極端に感じられたが、それでいて2060年から帰ってきた5号車の人たちに対して複雑な心情を抱いているはずの6号車の乗客の家族・友人に触れなかったのも残念だ。
ドラマが終わって、まず浮かんだ疑問は、『ペンディングトレイン』は何人の死者を生み出した作品なのだろうか、ということだった。5号車と6号車で乗客は計132名だという。第1話で崖に転落した集団もいたし、6号車の人々が姿を見せた第5話時点で、いったい何人が生き残っていたのか。そして主人公たちは、勝手に乗り込んできた植村(ウエンツ瑛士)と加古川(西垣匠)を除いて6号車の人たちには何も知らせずに二度目のタイムワープを敢行。2060年に置いていかれた人たちを“死者”と数えるのは気が引けるが、2026年の人たちにとっては会いたいと思っても二度と叶うことがない(はずの)人たちだ。そんな選択をしたことを考えると、山田裕貴の熱演を通して描かれた「知りたかったら直接聞けよ! 何を勝手に妄想してんだよ。そいつの奥を見ろ」という“説教”も空虚に感じられてしまう。
結末はご想像にお任せする、というスタイルだったが、そのあまりの説明不足からかえって結末に関して「勝手な妄想」を呼んでしまったのも皮肉な結果だったように思える。なによりペンディングされたのは、最終話まで見届けた視聴者の心情のほうだった。
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