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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.710

瀬戸内寂聴がモデルの大人の恋愛映画 寺島しのぶが剃髪で挑む『あちらにいる鬼』

「全身小説家」として生きた井上光晴

瀬戸内寂聴がモデルの大人の恋愛映画 寺島しのぶが剃髪で挑む『あちらにいる鬼』の画像2
篤郎(豊川悦司)との関係を断つため、みはる(寺島しのぶ)は出家する

 篤郎のモデルとなった井上光晴の小説を読んだことのない人でも、原一男監督のドキュメンタリー映画『全身小説家』(94)の主人公だといえば、「あぁ、おばさんたちの前で女装して踊っていたおじさんか」と思い出すのではないだろうか。被爆者差別を扱った映画『地の群れ』(70)や原爆投下前日の長崎を描いた『TOMORROW 明日』(88)の原作者でもある。シリアスで重厚な小説を精力的に執筆する一方、文学教室の教え子たちの前では思いっきりバカをやってみせた。映画『あちらにいる鬼』でも、化粧をした豊川悦司がストリップを踊るシーンが再現されている。

 『全身小説家』の中の井上光晴は、女性たちにモテモテだった。人生経験豊富そうな婦人たちが、うっとりした表情で井上光晴の魅力を語った。井上光晴はトークが巧みで、集まった人たちをもてなすサービス精神が旺盛だった。だが、福岡県久留米市生まれなのに、中国の旅順で生まれたなどと平気で嘘もついた。自身の生涯そのものを物語化してしまう、まさに「全身小説家」だった。

 豊川悦司演じる篤郎も、見えすいた嘘を重ね、笙子とみはる以外の女性とも遊び、多くの人たちを傷つけてしまう。だが、笙子の手料理を篤郎は絶賛し、笙子とは決して別れようとはしなかった。また、みはるが小説の初稿を書くと、篤郎は最初の読者となり、校正を請け負った。作家として、みはるに的確なアドバイスを与えた。憎みたくても憎み切れない、人間臭いキャラクターとなっている。

 作家たちを主人公にしていることで、本作には「入れ子構造」的な面白さがある。瀬戸内寂聴が書いた伝記小説に『美は乱調にあり』と続編『諧調は偽りなり』がある。大正時代の思想家・大杉栄、のちに妻となる伊藤野枝、愛人・神近市子ら実在の人物たちの自由恋愛を描いたものだ。寂聴自身が奔放な恋愛を体験し、さらに恋愛相手の娘だった井上荒野が作家となり、両親と寂聴との関係を小説にしている。男と女の関係が、まるでドロステのようにどこまでも続く構図は、酩酊感すら感じさせる。

 寂聴をモデルにした主人公を演じるとあって、寺島しのぶは剃髪シーンでは実際に自分の髪を剃り上げるというリアルな演技を見せている。ベルリン国際映画祭最優秀女優賞に輝いた『キャタピラー』(10)や『ソドムの林檎』の毒婦役を経て、女優曼陀羅をさらに昇った感がある。普段はクールな役の多い豊川悦司が、今回は黒目がちな人懐っこい表情で篤郎役になりきっているのも印象的だ。

 笙子役の広末涼子も、怒りながら愛し、悲しみながら慈しむという複雑な感情を演じてみせている。篤郎の祖母が亡くなった直後、2人めの子どもを出産するシーンの表情が忘れがたい。アイドル時代とは違った、大人の女優としての魅力を醸し出すようになった。

 俳優がこれまで見せなかったような顔を引き出してみせるのが、廣木監督は抜群にうまい。湊かなえ原作の『母性』(11月23日公開)、佐藤正午原作の『月の満ち欠け』(12月2日公開)と廣木監督作が次々と封切られる。それぞれタイプの異なる3本だが、大人のドラマを堪能したい人には本作がいちばん適しているだろう。(2/3 P3はこちら

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