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あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#12

小室哲哉はいかに革新的だったか 「渋谷系」も一目置いた、プロデューサーとしての絶頂期

ダブ、アシッド・ジャズ、“ワールド・ミュージック”に染まるTRF

小室哲哉はいかに革新的だったか 「渋谷系」も一目置いた、プロデューサーとしての絶頂期の画像2
trf『WORLD GROOVE』

 本稿の前半でも触れた通り、1993年にデビューしたtrfは小室哲哉がプロデューサーとしての活動を本格化させる契機となったユニットである。そしてその名が、当時人気を集めていたダンスミュージック・ユニット「C+C ミュージック・ファクトリー」をヒントに結成され、そのグループ名が「TK RAVE FACTORY」の略称であることは多くの小室ファンがご存知のことだろう。

 一方、trf結成に際して、ダンサーたちはヒップホップやアシッド・ジャズを軸としたダンスグループ「MEGA-MIX」のメンバーから集められたという。SAMは2022年のインタビューでtrf結成当時を振り返り、小室に楽曲の希望を訊かれた際に「ドロドロのヒップホップ」などのリファレンスを提示したにもかかわらず、1stシングルがジュリアナ・テクノ調の「GOING 2 DANCE」(‘93年2月)だと知った時は困惑した――と正直な胸の内を明かしている。もちろん、その後のtrfへの提供楽曲は、この小室特集の第1回でも挙げたように、彼のルーツでもあるソウル/ディスコ方面の音楽性が徐々に顕在化していく。SAMやDJ KOOは元来、サルソウル・オーケストラやロレッタ・ハロウェイをはじめ、ガラージ・クラシックと呼ばれるソウルフルなダンスミュージック方面に強い愛着を持っていたこともあり、こうしてtrfと小室の間にあったギャップは無事に解消されていった。

 trfの出世作となった2ndシングル『EZ DO DANCE』(‘93年6月)のカップリング曲である「DO WHAT YOU WANT」は、メンバーの本来の意向をある程度反映してか、ダブの要素を持った65 BPMほどのダウンテンポ・チューンに仕上がっている。ある意味で、R&Bに接近していった1996年以降の“小室プロデュース”の方向性を先取りしたような、非常に特異なポジションにある楽曲だ。当時の彼の仕事における「BPMの幅広さ」はimdkm氏も『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint)の中で述べていたが、このシングルはその振れ幅を特に分かりやすく教えてくれる。

 trfが初のオリコンチャート1位・ミリオンセールスを記録したアルバム『WORLD GROOVE』(‘94年2月)は、アンビエントや、当時の表現で言うところの“ワールド・ミュージック”的なテイストが随所に取り入れられたアルバムとなっている。中でも、アルバム中盤の手前にインタールード的に配された「WORLD GROOVE 2nd.chapter」は、沖縄音楽を思わせる跳ね・シャッフルと、ニューエイジ・ミュージック的なサウンドアプローチが違和感なく融合しており、今聴いてもなお非常に刺激的な、隠れた名トラックだ。

 こうした実験的な試みは、パーカッションを鼓(つづみ)や摺鉦(すりがね/チャンチキ)など全て和楽器で固めた94年の大ヒット「BOY MEETS GIRL」(’94年6月)へとつながっていった。

 また、この小室特集の第1回で紹介した、ソウル/ディスコ調の「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」(‘95年3月)をリードシングルとして発表されたアルバム『dAnce to positive』(同月)には、インコグニートなどのUKアシッド・ジャズ勢にも通じるスロー・グルーヴ「Never give up on love -interlude」が収録されている。ヴォーカルはYU-KIではなく、ソルト・ン・ペパなどのコーラスを務めたメロディ・セクストンが担当。演奏は当時の小室の制作パートナーである久保こーじが率いるバンド「No! Galers」が全面参加している(作曲自体も、久保こーじの実質単独制作だとする説もある)。ある意味で「Overnight Sensation」以上に当時のtrfの志向が明確に表れている印象があり、このアルバムにおいて終盤に向けた流れを形成する重要なポジションを担ってもいる 。

 1995年にシングル両A面の1曲としてリリースされた「teens」は、生のドラムとブラスアレンジが効いたスロー・ジャム。翌1996年以降のtrfは「従来よりも落ち着いたテンポのブラック・ミュージック」を念頭にイメージチェンジを目指していたと言われるが、そうしたコンセプトの一端が垣間見える楽曲だ。

 「teens」と同時リリースとなったアルバム『BRAND NEW TOMORROW』は生音を基調とした楽曲が多数収録されており、中でも「HOLD THE LINE」は、ストリングスやコーラスにUKのソウル・ミュージック~アシッド・ジャズらしさを色濃く感じさせる楽曲に仕上がっている。それでいて、タイトルはTOTOの同名曲を念頭に置いたものだと思われ、サビの裏に置かれたキメの強いリフを聴いていると、どことなくTOTOのギタリストであるスティーヴ・ルカサー的なフレーズにも思えてくるのが面白い。

 当時の小室は『TK MUSIC CLAMP』でのブラザー・コーンとの対談の中で、UKソウルを「アンテナ張ってる子たち」に刺さるもので、USのR&Bのある種の「わかりやすさ」とは別の良さを持ったものだ――と語っている。trfの当初のコンセプトである“レイヴ”自体もイギリス発祥のカルチャーだが、ここまで挙げてきたtrfの異色の楽曲群にもUKの要素(ダブやアシッド・ジャズなど)を感じさせる部分は数多いように思える。

 1996年以降の小室のプロデュースワークは、TLCやジャネット・ジャクソンなどアメリカのR&B~ヒップホップ・ソウル的な楽曲が増えていくことになるが、trfではそれに先んじて、また違った角度からR&B的なテイストを持つ楽曲を多数リリースしていたと言えよう。trfはその後1998年までオリジナルアルバムのリリースが途絶え、小室のフル・プロデュース・アルバムとなると『WATCH THE MUSIC』(‘13)まで16年ものブランクが生まれることになる。当時の小室の采配であれば一層コアな音楽性を含んだアルバムをリリースしていた可能性が高く、もし小室がR&B的な表現から手を引く2001年頃まで彼らのプロデュースを続けていたら……と、歴史の“IF”を考えるとワクワクさせられるものがある。

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