渋沢栄一がこだわった「論語」は『論語』にあらず!? 銀行経営の指針に「論語」を持ち出した背景
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渋沢栄一にとっての“論語”は、尾高惇忠から学んだことの総称?
『論語』が、すべての学問の基本だった時代も長くありました。江戸時代には、武士階級以外の者も、寺子屋で『論語』など中国の古典を暗誦することで学問を始めました。
渋沢は、5歳のときから、父・市郎右衛門から初等教育を受け始め、7歳から従兄の尾高新五郎(=のちの惇忠)によって『論語』などいわゆる「四書五経」の手ほどきを受けています。当時、多くの寺子屋などでは、文言の解釈は教えず、ただひたすらに暗記させるだけという教育方針が取られていたのに対し、ドラマの中では「あにぃ」と呼ばれている尾高(田辺誠一さん)は、幼い生徒にも意味を説いて聞かせ、興味を巧みに引き出したそうです。渋沢が語る“論語”は、尾高先生から幼い日に教わったさまざまなテキストの総称として考えるべきものだといえるのです。
これは渋沢の講演録『論語と算盤』の冒頭に引用された「格言五則」からもうかがえます。いきなり「志意修、則騎富貴」の文言で始まるのですが、これは『論語』ではなく、『荀子』からの引用なんですね。この「志意修(おさ)まれば、則ち富貴を騎(あなど)り……」という文言は、「志がきちんとしておれば、富や地位など問題でない」と説いています。
「格言五則」には、渋沢の記憶が曖昧で、引用を間違えている部分さえ見られますが、これは逆に、渋沢が『論語』など初等教育で学んだテキストを本当に暗誦し、血肉化していた証拠ともいえるでしょう。渋沢だけでなく、当時のひとかどの人物はみんなそうだったのかもしれません。
それゆえ、銀行を開業したばかりの渋沢が『論語』を持ち出したのは、「銀行」という仕事はエリートにしか理解できない高尚なビジネスではなく、我々が人生の最初に学んできた『論語』のように基本的なものなんだよ!と主張する意味もあったのでしょう。
実際、渋沢が明治6年(1873年)に銀行事業に協力してくれる株主を募集したときの広告には、キャッチコピーとして、“論語風”の文言が意識して使われています。
「夫(そ)れ銀行は猶(な)ほ洪河の如し(=銀行は大河のようなものだ)」
今日のビジネスの現場では、この手のわかりづらいキャッチコピーは採用されないでしょうが、「金儲けは卑しくはない、徳の高さを示す行いにもなりうる」「銀行事業というビジネスにあなたも参加して、あなたの進取の気性と高徳さを世間にアピールしてみては……」というウラの意味が感じられます。
渋沢のアイデアマンぶりには驚かされるものがありますが、そんな渋沢によって一気に持ち上げられたことで、『論語』は現代日本でもビジネスエリート必読の書のひとつに数えられるまでになりました。
その一方、『論語』や、そこに描かれた孔子という人物の実像について、我々はどう評価したらよいのでしょうか。驚くかもしれませんが、史実の孔子は、『論語』の記述にあるような、大国の宰相を任される生粋のエリートなどではなく、ただの政治好きの「冠婚葬祭アドバイザー」でしかなかったようです。『論語』では弟子の数が3000人いたなどとされていますが、『論語』より成立年代が古い『孟子』では70人しかいなかったとあります。おそらく、70人でも“盛られた”数字ではないでしょうか。
民間の自称「冠婚葬祭アドバイザー」の孔子が、50代のときに何らかのコネを得て、魯という小国の役人(=冠婚葬祭のマナー監修者)になれたのが、彼の初就職だったともいいます。そして就職後も、いろいろと問題があったようです。貧しい生まれの孔子は、専門的に礼法を勉強できたわけではないので知識が足りず、同僚どころか目下の人にも職務上の質問をせざるをえなくなりました。それが『論語』にいう「下問を恥じず」の実情だったという話も……(浅野裕一『孔子神話―宗教としての儒教の形成』岩波書店)。
神格化された孔子のメッキを剥がすような発言ばかりで申し訳ないですが、『論語』に「利」について語った部分がない理由は、商業を軽蔑していたからではなく、史実の孔子の人生には儲かったという経験が足りなかったので、「利」について語ることなどほとんどなかったから、というのが実情なのかもしれません。
そんな孔子本人は、渋沢栄一という人物が『論語』とビジネスを結びつけ、自身のキャッチコピーのように語っていたことを知ったら、彼をどう評価するものだろうか、知りたくもある筆者でした。
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