西郷隆盛の“不思議ちゃん”な行動の意図──「まだ戦が足りん!」発言や突然の渋沢邸訪問にあった真意とは
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──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
“明治維新の意義”を真正面から問いかけている『青天を衝け』。なかなかの意欲作だなと思うところはあります。徳川慶喜など「大河ドラマ」に頻出の有名人物の描かれ方が従来とは異なるケースも見受けられ、西郷隆盛もその一人でしょう。『青天~』の明治新政府編が始まって以来、博多華丸さんのニヒルな演技、“心の闇”を感じさせる表情が一層濃くなった印象があります。
しかし、いまひとつ劇中における西郷の立ち位置がわかりづらいという視聴者の声があるのも事実でしょう。最近の放送内での西郷の動向については、岩倉具視がしきりに「西郷は(鹿児島から)まだ出てけぇへんのか」と大久保利通に言っていたり(第29回など)、その岩倉が鹿児島に出張し、西郷に新政府に戻ってきてと懇願した結果、ひさびさに東京に出てきた西郷が会議の席でいきなり「まだ戦が足りん!」と言いだしたり(第30回)。前回の第31回でも、新政府内の重役会議の席に出て、言い合う面々をよそに一人で「宮さん、宮さん……」とボンヤリ歌っている謎めいた姿が見られました。
この「宮さん……」は「トコトンヤレ節」という明治初期の流行歌で、「戊辰戦争」における新政府軍(=官軍)の進撃を歌っています。当時、西郷は官軍総参謀を務めていました。その彼が「トコトンヤレ節」を口ずさんでいたのは、「まだ戦が足りん!」という第30回のセリフにつながるもので、西郷の“本心”を匂わせる描写だったといえるでしょう。この時、岩倉や大久保ら政府の中心メンバーが職務を放り出すかのように使節団を作ってアメリカに出かけてしまっていたので、西郷はその穴埋めに駆り出されて会議に出席していました。西郷がうつろな表情だったのは、イヤな仕事を割り振られてしまったという気持ちが強かったからではないでしょうか。
政府の最高責任者たちの代理役としての西郷の姿を要約すると、「私が責任を取るから、君たちは好きに動きなさい」といわんがばかりに部下たちに働かせる一方で、本人が熱心に取り組んだのは、明治維新で没落した「不平士族」たちの救済問題、そして明治天皇を各軍のトップである「大元帥」として育て上げるための宮中改革でした。
西郷の働きぶりは、明治天皇には大きな影響を残すことはできましたが、その他の方面での“高みの見物”的な仕事の仕方は、クセの強い人々が跳梁跋扈する新政府内では通用せず、さまざまな批判を浴びるようになります。特に、旧・薩摩藩の最高権力者だった島津久光との関係が再び険悪になっていたことも、実はストレスに弱く、メンタルヘルスを害しやすい西郷にとっては手痛い打撃でした。
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