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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 大河では描かれなかった秀頼の子のその後
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』では描かれなかった秀頼の「生存説」と子どもたちの数奇な運命

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『どうする家康』では描かれなかった秀頼の「生存説」と子どもたちの数奇な運命の画像1
秀頼(作間龍斗)と千姫(原菜乃華)| ドラマ公式サイトより

 『どうする家康』、最終話はなかなか衝撃的でした。大坂夏の陣のパートは番組の前半でわりとあっさり終了し、残りの時間の大半を、死の間際の家康(松本潤さん)が見た「夢」の描写に費やしていたからです。あるいは夢というよりも、最終話冒頭にあった、大坂夏の陣での最終決戦を前に阿茶局(松本若菜さん)から頼まれ、話して聞かせた「鯉の話」を家康は思い出していたのかもしれません。いずれにせよ、家康を含めてさまざまな人物がまだ若く元気なときの「過去」の姿で登場しているのを見て、グッとくるものがありました。そこに老いさらばえ、病床に伏している「現在」の家康の姿が時折挟まれることで、「過去」と「現在」の間に実に長い年月が流れてしまったことを痛感させる名演出でした。「老い」とは、「現在」と、自分が本当に若かった「過去」との落差をなにかの拍子に思い知らされることにほかならないのかもしれません。

 今回は『どうする家康』についてのコラムの最終回として、豊臣家滅亡とその後の「伝説」についてお話ししたいと思います。

 史実において、秀頼と茶々は大坂城・本丸の北側に位置する山里曲輪(山里丸)という場所で自害したと伝えられています。かつて秀吉が茶室を建てた場所でした。この山里曲輪の遺構は、現在の大坂城公園にある刻印石広場の地下数メートルに眠っているようです。

 ドラマでは、秀頼や茶々、そして家臣たちの集団自害の後、家康が拝むシーンを挟んであっという間に「安寧の世」が訪れる展開となっていましたが、実際には大坂の陣の後、秀頼と茶々が本当に自害したのかどうか、徳川方による検分が行われました。史実では本丸の北側にある山里曲輪に彼らは移動し、建物に火を放った上で全員が自害したと伝えられていますが、30ほどあった遺体はすべて黒焦げだったため判別がつかず、その結果、「秀頼と茶々の遺体は見つからなかった」という判断が下されたようです。ただ秀頼に関しては、愛用の刀がそばにあった遺体を便宜上、秀頼だとみなしています。残された遺体からでは、背が高く、しかも力士のように肥え太り、「世になきお肥り」とまでいわれていた秀頼だとはっきり断言できるものは見つけられない状態だったのでしょう。

 こうした状況もあってか、秀頼には大坂城を脱出して九州に落ち延びたという伝説が複数あります。しかも、現在の長崎県・平戸の商館のイギリス人商人リチャード・コックスの日記にも登場するくらい、すごい勢いで広い地域に「秀頼生存説」は伝播したようです。秀頼の逃亡先は、幕府とて容易に手出しができなかった薩摩(現在の鹿児島県)の領主・島津家の所領だったとするケースが主流ですが、肥後(現在の熊本県)説もあります。

 当時の肥後の領主は、秀吉子飼いの家臣だった加藤清正の子である忠広でした。肥後逃亡説では、秀頼は、豊臣方から徳川方になった織田有楽斎(信長の弟)の協力も得て大坂城の脱出に成功し、隠れ場所のある二重の船底を持つ船に潜んだり、福島正則が用意した別の船に乗り換えたりしながら肥後にたどり着けたといいます。

 秀頼はその後、「菊丸自斎」と名乗り、山里に隠れ暮らしながら、80代まで長生きしたそうです。肥後の領主が加藤家から細川家に変更になった後も、秀頼とその家族への支援は続いたとされ、肥後で秀頼が授かった2人の子どものうち、弟のほうは「菊丸殿」と呼ばれ、後に島津家家臣・伊集院家の養子となって薩摩で暮らすようになったのだとか。また、姉のほうは細川家の家老・有吉家に嫁いだそうです。彼女の名前は史料によって「古屋(こや)」もしくは「お辰殿」とさまざまです。生年についても史料ごとに違いがあるため、この女性が本当に実在したかどうかは疑わしいと言われれば否定できませんし、そもそもインパクトが強い見た目の秀頼が、千姫のように落城間際の大坂城から敵の目を盗み、戦場を突っ切るようにして抜け出すことができるのか……?という疑問は残るところですが、こういう貴種流離譚(高貴な人がどこかに流れ着いて生き延びる話)にはどうしても歴史ロマンを感じてしまいます。(1/2 P2はこちら

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