『どうする家康』では描かれなかった秀頼の「生存説」と子どもたちの数奇な運命
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秀頼が側室に生ませた子どもたちの数奇な運命
このコラムでは以前、千姫が一人前の女性になったとみなされるまでの間に、性的に早熟だった秀頼が2人の側室との間に男女2人の子どもを授かっていたことをお話ししました。この秀頼の子どもたちは結局ドラマには登場しませんでしたが、娘のほうは、千姫がわが子同様に大切に養育していました(男児の数奇な運命については後述)。そして慶長20年(1615年)5月7日、豊臣家の敗北が決定すると、ドラマにもあったとおり千姫は義母と夫の助命嘆願を行うべく、命の危険を顧みず、家康と秀忠の陣に向かったわけですが、このタイミングで、秀頼と側室との間に生まれた姉弟(一説には兄妹)もそれぞれ別々に大坂城を脱出しており、市井に潜伏することになりました。
秀頼と茶々の死、そして大坂城の天守炎上から4日後の5月11日、京極忠高が娘を探し出して捕らえ、幕府に差し出したという記録があります。千姫の嘆願によって、この時は娘の命ばかりは助けられることになり、鎌倉の「縁切り寺」としても有名な東慶寺で尼として生き残ることができました。後に天秀尼という名で同寺の住職を勤めるまでに大成し、その人徳で庶民たちからも慕われました。しかし、彼女は結婚禁止の尼僧ですから、子孫はおらず、秀頼の血脈はここで絶えてしまっています。
では秀頼の男児はその後どうなったのでしょうか。幕府は意外にも、秀頼の娘が京極家によって捕縛された時初めて、秀頼に男子がいたという事実を知ったようで、厳しい詮索が開始されました。国松丸という名のこの男児はお供の者たちと山城国伏見(現在の京都・伏見)に隠れていましたが、5月21日に発見され、23日には六条河原で処刑されました。わずか8歳での死でした。
国松丸の存在がなぜ部外者にはほとんど知られていなかったというと、そこには茶々の一計がありました。徳川秀忠の娘である千姫が一人前になるまでの間にせよ、秀頼が側室との間に息子まで授かっていたという事実を幕府に知られると厄介だったため、茶々の妹で、京極家に嫁いだ初(常高院)に国松丸を預け、その後は京極家家臣の元妻(後家)の手でひっそりと養育させたそうです。
ところが、大坂の陣が始まるという時、初は国松丸を密かに探し出し、長持(衣装箱)の中に隠して大坂城へ迎え入れるという行動に出ました。秀頼と茶々に対面できた国松丸は、茶々の部屋でずっと過ごしていましたが、いよいよ大坂城の落城が迫ると、茶々の命により、乳母と2人の家臣に伴われて城外に脱出します。しかし運悪く、国松丸一行は前田家の兵にすぐさま捕らえられてしまいました。秀頼に男児がいるという情報は世間に秘匿されていたので当初はなんとかシラを切り通せたものの、捕まった乳母と家臣たちが尋問によって口を割ったことで身元不明だったまだ幼き男児の正体が発覚してしまい、すぐさま処刑が決定してしまったのです。もし、初が大坂城へ連れ出すようなことをしていなければ、国松丸は幕府にその存在を知られないまま、その後も生き続けていたかもしれませんね。国松丸の遺骸は、秀吉の側室のひとりだった京極竜子(松の丸殿)が引き取って、自身にゆかりの深い京都・誓願寺に葬ったそうです。
秀頼の子については、さらに興味深い逸話があります。国松丸にはもうひとり弟がいたとする説があるのです。これは浄土宗の高僧たちについて記した『浄土本朝高僧伝』などに見られるもので、江戸の増上寺で長い間にわたって勤行していた求厭(ぐえん)という僧が国松丸の弟だとされています。その根拠は、伏見で亡くなった求厭が臨終の際、「これまで自分は出自を隠してきたが、実は秀頼の次男である。徳川を恨む気持ちは大きかったが、晩年になってはじめて豊臣家の滅亡が今の平和の礎となったのだと気づくと、長い妄執が消え、さわやかな気持ちになった」と言ったとされているためです。徳川家の菩提寺のひとつである増上寺に隠れていたというのはなかなかのアイデアですが、一度は天下を取った実家の滅亡と、その後の運命の暗転を考えつづけ、それによって悟りを得たのだとすると、求厭の生涯そのものも興味深いところですね(秀頼の子であるというのが事実ならば、ですが)。
ドラマでは触れられることのなかった側面から、豊臣家の滅亡とその後について少しお話ししました。茶々という女性をあれだけの存在感をもって描き切った『どうする家康』ですから、こうした側面の話もドラマで取り上げられているとより一層面白くなった気がしますが、ないものねだりはやめて、一年間、楽しませていただいたお礼を脚本の古沢良太先生、NHKの方々に申し上げたい気分です。
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