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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 徳川家康と石田三成の実際の関係
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』では家康と三成が友情を築く? 史実の2人の関係性は…

家康が三成を匿った三成襲撃事件はフィクション?

『どうする家康』では家康と三成が友情を築く? 史実の2人の関係性は…の画像1
石田三成(中村七之助)| ドラマ公式サイトより

 それでは、家康と三成の関係は史実においてどのようなものだったと考えられているのでしょうか。歴史学者・光成準治氏によると、「家康と三成は極めて没交渉」で、それは秀吉が「意識的に家康から遠い位置に三成を置いた」がゆえだと推論しています。光成氏の仮説によると、秀吉が三成を家康から遠い位置に配したのは、秀吉はその才能を高く評価していた三成を、自分が死んだ後の反・家康勢力の中心に据えようと構想していたからだそうです(「最初から家康は石田三成と仲が悪かったのか?」/渡邊大門編『家康伝説の嘘』柏書房より)。しかし、三成の人望の無さ、そして秀吉子飼いの武将たちとの折り合いの悪さに秀吉が気づかないはずもなく、本当に秀吉が三成を家康の対抗馬になりうるとまで評価していたかは筆者には疑問です。

 関ヶ原の戦いの前年に「三成襲撃事件」が起こったという話は先ほど触れましたが、この事件に関しては、加藤清正や福島正則ら七将の手で殺されそうになった三成が家康の館に逃げ込み、匿ってもらったという説があります。大河ドラマでも頻出のエピソードですが、『どうする家康』の家康と三成が親しくなるのであれば、この逸話も映像化するつもりでしょう。しかし残念ながら、家康が三成を匿ったという逸話どころか、この襲撃事件自体、後世のフィクションである可能性が高いと思われます。

 歴史学者・白峰旬氏は、先行研究と史料の整合性を図ることで、三成襲撃事件は「根拠のない虚構」であって、加藤清正、福島正則、黒田長政といった「秀吉子飼い」の七将による「武力による『襲撃事件』ではなく、『訴訟運動』」だったと結論づけています(『新視点 関ヶ原合戦 天下分け目の戦いの通説を覆す』平凡社)。

 秀吉晩年の愚行として知られる「朝鮮出兵」において、三成が七将の働きぶりを秀吉に報告したのですが、この時、三成が各人を過小評価して伝えたのではないかという疑惑があり、秀吉の死後、不満を持っていた七将が三成を糾弾しようとしたというのです。この時、七将の肩を持った家康が介入し、三成を奉行職から追放、佐和山城に蟄居させています。これが何らかの理由で、武力による襲撃事件が起こったという形で後世に伝わった……ということですね。

 ちなみに家康は、三成を訴えた七将に「三成の息子を人質にとってやったぞ」と勝ち誇ったような調子の手紙を書いたのですが、実はその裏で自分の息子を人質として三成のいる佐和山城に送っていたことが判明しています(『多聞院日記』)。つまり、家康は七将と三成の双方に「良い顔」をして見せたのです。まさに「タヌキおやじ」というイメージそのものの行動ですね。

 この三成襲撃事件もしくは三成訴訟事件について詳細は不明な部分も多いのですが、はっきりしているのは、関ヶ原の戦いの直前の段階で、豊臣政権内部において三成に敵対する人物がかなり多かったということですね。三成を「攻撃」した七将は、関ヶ原の戦いにおいて、豊臣側ではなく徳川側につくことになります。そして、関ヶ原の戦いに敗れた三成は捕縛され、京都・六条河原で処刑されてしまいました。

 しかし、家康自身は、秀吉への忠義に殉じたといえる石田三成を嫌いにはなれなかったようですね。三成は処刑されましたが、その子孫に対し、家康そして幕府の対応が比較的寛容だったことは要注目でしょう。

 三成が正室(氏名不詳)との間に授かった三男三女たちは、関ヶ原の戦い以降も殺されずに生き残り、江戸時代になると、さまざまな藩で重役として取り立てられることもありました。また、三成の娘の辰姫が生んだ男子が、弘前藩3代藩主・津軽信義となったことも興味深いですね。これは「戦犯」石田三成の孫が、4万7000石の津軽家を大名となって継ぐことを、幕府が公認したということですから。

 関ヶ原の戦いでやはり家康に反旗を翻した結果、八丈島に島流しになった宇喜多秀家の子孫たちは、明治時代になるまで赦免されることはなく、島で暮らし続けねばならなかったのとは対照的です。こうした扱いの差から見ても、家康と三成の間に「友情」があったかまではともかく、少なくとも家康の三成に対する感情はそれほど悪いものではなかった気がします。『どうする家康』がどのような解釈で彼らの関係を描くのか、楽しみですね。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/09/17 11:00
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