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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 小牧・長久手の戦いという特殊な戦争
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』関ヶ原を彷彿させる小牧・長久手の戦いで家康が「敗軍の将」となった意味

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『どうする家康』関ケ原を彷彿させる小牧・長久手の戦いで家康が「敗軍の将」となった意味の画像1
徳川家康(松本潤)| ドラマ公式サイトより

 『どうする家康』第30回は、秀吉軍と対立した織田信孝(吉田朋弘さん)・柴田勝家(吉原光夫さん)方の総大将が、実はお市(北川景子さん)だったという描かれ方で斬新でした。瀬名(有村架純さん)、お田鶴(関水渚さん)やお万(松井玲奈さん)らの「おなごの戦い」を描いてきた本作ですが、その中でもお市の死は個人的に印象に残りましたね。「母」としてのやさしい顔と、「女武将」としての勇猛な顔を行き来するお市を、北川景子さんが格調高く演じておられました。記憶に残るお市の方であったと思います。

 母・お市に対する茶々(白鳥玉季さん)の態度も興味深い描かれ方でしたね。茶々は後に秀吉の側室(もしくは2人目の正室)となり、現代では淀殿と呼ばれることが多い女性です。大坂の陣では、豊臣方の中心人物として家康と激突しています。ドラマの茶々は、家康(松本潤さん)は約束を守ると信じている母親に対し、「お見えになるでしょうか。母上が待ちわびておられるお方」と疑い、家康が救援に来ないことがわかると「やはりお見えになりませんでしたな。見て見ぬふり」「徳川殿は嘘つきということでございます。茶々はあの方を恨みます」とはっきり言い、母の自害の覚悟を知って「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」と宣言していましたが、まさにその後の家康に対する淀殿の態度の伏線になると言えそうです。実際に茶々とお市の最後の会話がどんなものだったかは史料上わからないのですが、案外、このようなやりとりがあったのかもしれないと想像してしまいました。

 また、徳川家康にとっては後に宿敵となる真田家とのトラブルが起こることを示唆させるセリフがあったことも印象に残りました。北条氏直(西山潤さん)との和睦のために、真田の領地である上野(こうずけ)を氏直のものと認めるという選択をして「恨まれるのは、わしの役目じゃ」と言っていた家康ですが、後に真田家から猛反発を食らうことになる展開を予期させました。家康はこのとき真田家から取り上げる領地の代替地を明確に提示できず、これが長年にわたる徳川家と真田家の確執の始まりとなるのですが、かなり格下の存在といえる真田家を見くびっていたのでしょうか。

 ただ、真田家との確執についてはドラマではまだ描かれることはなさそうで、「史上最大の決戦」と題された次回・第31回では、小牧・長久手の戦いに突入するようです。

 小牧・長久手の戦いは、歴史好きなら名前くらいは誰もが知る戦ではありますが、その実態は非常に複雑で、さまざまな解釈が成り立ちうる歴史的事件です。まず、名称にも諸説があり、学術書に近い書物ほど「小牧・長久手の戦い」という表記をファーストチョイスとしては使わず、「天正十二年の東海戦役(小牧・長久手の戦い)」としている例を見る気がします。また江戸~明治時代には「小牧の役」「長久手の役」と個別に表現しているケースも目立ちます。「天正十二年の東海戦役」という名称のほうが、「小牧・長久手の戦い」よりこの戦争の本質を表していると思われますが、それはこの戦が行われた地域が北陸、関東、畿内、西国と非常に広いうえに、この戦をどう評価するかについても、家康側、もしくは秀吉側から見た場合でかなり違ってくることが理由として挙げられます。

 ドラマが面白くなるかどうかは、長期にわたって行われ非常に複雑なこの戦を、家康と秀吉という2人の視点からどのように見せるか、すなわちこの戦に関する膨大な情報をいかに取捨選択できるかにかかっていると思われますね。なかなかハードルが高そうですが、だからこそ古沢良太先生の腕の見せどころとなるでしょう。

 小牧・長久手の戦いについて概観すると、後世の我々の常識が通じない、いかにも乱世を象徴するような戦いであったと言えるでしょう。現代人は、戦争は「外交の敗北」の結果起こる最終事態であり、戦争が終結するときは「勝者」と「敗者」がおのずと明確になると考えがちなのですが、小牧・長久手の戦いにおいては、この当時の複雑な外交問題を処理するためにこそ、とりあえずは戦をしてみるしか方法がなかった、そしてそういう時代こそが日本の戦国だった……というようなことを感じてしまうのです。

 小牧・長久手の戦いで特に面白く感じられるのは、終戦にかけて、徳川軍と豊臣軍が「適当なところで痛み分けをしよう」と歩み寄り、お互いにとってよりよい終結が模索され始めたと思える点です。ドラマでこうした複雑な経緯がどのように描かれるかは、実際の放送を楽しみにするとして、今回は史実上、小牧・長久手の戦いにおいて家康が「敗戦の将」となったことの意味を少し考えてみたいと思います。(1/2 P2はこちら

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