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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 忍者は無関係? 謎多き「神君伊賀越え」
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』伊賀越えに協力したのは忍者ではない? 謎多き家康の脱出ルート

秀吉の中国大返しの倍のスピードで移動した伊賀越え

『どうする家康』謎だらけの「本能寺の変」 信長はほとんど本能寺に泊まってなかった?の画像2
徳川家康(松本潤)| ドラマ公式サイトより

 竹丸に先導された家康一行は6月2日から5日までかけ、当時の伊賀国というより近江との国境辺りの峠を含む山道を通って、三河までの逃避行に成功した……といわれています。しかしこのルート、1日目に約52キロ、2日目は山道中心で約24キロ、3日目はなんと約68キロも移動しています。3日目の移動距離が特に長いのは、伊勢国・四日市(現在の三重県)近くの伊勢・白子浜から船に乗っていたこともあるのでしょうが……。

 しかし死にものぐるいの逃避行だったとはいえ、1日あたりの移動距離が長すぎて、現実的でない気もしますね。信長の死を備中・高松城(現在の岡山県)で知った秀吉が、京・山崎(現在の京都府)に陣を張った明智光秀と対決するまで、200キロの距離をわずか10日間で「スピード走破」したこと(1日平均20キロ)が、「中国大返し」という異名を与えられているほどの歴史的事件になっているのに、その倍以上の速さ(1日平均48キロ)で移動したことになっている家康一行の「伊賀越え」はどう理解したらよいものでしょうか。

 無論、秀吉たちとは異なり、家康一行は完全な武装などしていなかったという意味ではスピードが出せたでしょうが、『御実紀』の記述を信じるのであれば、当然現在とは違って舗装されていない急な山道を、それも山賊が潜む地域でありながら一行は「超スピード走破」していることになるのです。

 ドラマ次回のあらすじによれば〈岡崎へ帰還すべく、家臣団と共に逃亡する家康に、半蔵は、服部党の故郷である伊賀を抜けるべきだと進言する〉とあり、伊賀者、甲賀者といった忍びが伊賀越えに協力する俗説が採用されるようです。しかし神君伊賀越えに関する実証的研究で有名な渡辺俊経氏によると、無事に三河に帰り着いた家康が逃走を助けてくれた人々に与えた恩賞の記録などから、家康一行の伊賀越えに協力したのは、忍びではなく、多羅尾、山口、山岡、和田といった甲賀武士の名門の家々だったそうです。織田信長に協力的だった彼らが家康の逃避行を助けたのであれば、本能寺の変における「家康黒幕説」はまずありえなさそうと考えられるところですね。

 もちろん、家康の逃避行には、記録に残っていないだけで、名もなき民たちや、忍びの者も協力してくれていたのではないかとも思われますが、いずれにせよ、馬を頻繁に乗り継いでいけるような協力体制があったところで、家康一行が1日平均48キロもの猛スピードで山道中心のルートを踏破するのはかなり難しいように思われます。

 家康がどういう経路で逃走し、わずか数日で三河までたどり着くことに成功したかは謎めいているというしかありませんが、最近は「新ルート」にも注目が集まっています。

 これは『石川忠総覚書』に始まり、『御実紀』も採用した従来のルートではなく、家康の孫が書いたとされる江戸時代初期成立の『当代記』という資料に見られる、「大和国へ戻った」と読める記述に着目したものです。「家康於堺聞此事、大和路へかへり」云々とあり(続群書類聚完成会編『史籍雑纂 当代記 駿府記』)、家康公は堺において本能寺での事件を知り、いったん大和路に戻ったと解釈することができます。ここから、家康は堺あたりから八木、高取城あたりまでいったん南下し、そこから琴引(ここまでが大和国)、鳳凰寺、柘植(ここまでが伊賀国)と北上するルートを取って、柘植からは『石川忠総覚書』と同じルートを辿って伊勢・白子浜を目指したと考えるのがこの新ルートです。しかし現実問題として、大和国は明智光秀配下の筒井順慶が支配していましたから、敵地を無事に通過にすることは難しかったはずですし、さらに移動距離が延びることになり、これもまた考えにくいルートではあります。

 このように伊賀越えの全貌がわかる決定的な史料が存在していない状況から客観的に読み取れることは、家康自身は伊賀越えについて語ることはなかった、もしくは、振り返って語ることができないほど混乱した逃走劇であったということではないかと筆者には思えます。

 また、伊賀越えには多くの出費が発生した可能性があります。『御実紀』には、茶屋四郎次郎が道中、土地の者に「金を多く与えて道案内させた」という記述があるんですね。秀吉による「中国大返し」も同じで、兵たちに巨額のバラマキをしたという話もあります。秀吉が兵たちの忠義を「買う」ために、大返しの前には2万の兵たちに1日休息日を設け、備中高松城攻めのための備蓄の兵糧米8.5万石と軍資金金800枚、銀750枚などを臨時ボーナスとして支給(一説に現在の価格で一人あたり50万円ほど)したことで大返しを成功させたというわけです。

 宣教師フロイスによると、本能寺の変後に金銀財宝の山だった信長の安土城を手中に収めた明智光秀も、家康、秀吉の比ではないほどの巨額のバラマキを行ったようですが(『耶蘇会士通信』)、味方になる者は想定外に少なかったそうです。金だけでは人を動かすことは当時でも難しかったようですね。

 家康が三河まで脱出できたことはわかっていても、その経路や、どのように脱出を成功させたかについては謎めいている「神君伊賀越え」。予告映像からすると、ドラマでは忍者が大活躍しそうですが、どのように描かれるのか楽しみですね。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/07/30 11:00
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