『どうする家康』信長は本当にパワハラ気質なのか? 「安土城で光秀に激怒」の逸話の信憑性は
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「光秀が接待で失敗し、信長を激怒させた」元ネタは歴史小説
では、この腐った鯉云々という部分はドラマオリジナルなのかというと、一応の元ネタはあります。江戸時代初期に川角三郎右衛門によって書かれた歴史小説『川角太閤記』です。つまり、「光秀が安土城での接待で失敗をした」というエピソード自体、史実性が低いのですね。
ちなみに『川角太閤記』では、魚が腐っていると気づいたのは、家康ではなく、光秀の仕事の最終チェックを行うためにやってきた信長でした。魚の腐臭に気づいた信長は「お前は徳川殿に腐った魚を食べさせるのか!」と激怒し、光秀を接待役から外したとあります(ドラマでは家康は信長の家臣になっていましたが、史実では信長にとって家康は20年来の清洲同盟の盟友であり、「徳川殿」という表現もそれを踏まえたものでしょう)。
解任された光秀は逆ギレして、食材などのすべてを安土城の堀に投げ棄てたともありますが、実際にそういう行為をすれば、本能寺の変を起こす前に、光秀は信長から討ち取られてしまっていたと思われます。
当然ながら、腐った魚を膳に上げた光秀の不手際や、そのことに信長が激怒したという記述は『信長公記』など信頼できる史料にはないのですが、イエズス会の宣教師・フロイスによると、この宴のトラブルの逸話は、本能寺の変の後に急速に世間に流布したそうで、その不自然さに気づいたフロイスは『日本史』で次のように分析しています。
「信長は奇妙なばかりに親しく彼(=光秀)を用いたが(略)三河の国王(=家康)と甲斐国の主将(=穴山梅雪)たちのために饗宴を催すことに決め(略)これらの催し事の準備については、信長は、ある密室において光秀と語っていたが、元来、(信長は)逆上しやすく、自らの命令に対して反対を言われることに堪えられない性質だったので(略)信長は立ち上がり、怒りをこめて一度か二度明智を足蹴りにしたという」
この密室のパワハラ事件が、なぜか本能寺の変の後に広まったことをフロイスは疑問視し、「主殺し」という武家社会最大の罪を犯してしまった光秀が、同情を集めることで自分の行為を正当化しようと、「明智光秀は信長の暴力の被害者だった」という噂を広めさせたのではないかと考えたようです。
信長が武将相手にパワハラ・モラハラを行った記録は、信頼できる史料にはほとんど存在しておらず、光秀が本能寺の変後に流させたというこの一件に限られるという話をこれまで何度かしました。一方で、本能寺の変で信長が討たれる約2カ月前の4月10日、信長は安土城の女房たちを皆殺しにするという凄惨な事件を起こしています。
これは信長が留守の間、安土城の女房たちが仕事もせずにだらけ、あるいは城から無断外出までしていたため、信長は深刻な背信行為だとみなし、処罰したものです。
ドラマでも、ゆっくり腰を据えて富士の絶景を楽しもうともしない、短気な信長が描かれていましたが、史実の信長も相当に忙しない人物で、片道15里(60キロ弱)という、通常なら泊まりになる行程をその日のうちに済ませて安土城に戻ってきてしまったのです。「信長さまは、さすがに今日は帰ってこないだろう」と思いこんだ女房たちが無断で自由行動を取っていたことが、信長の逆鱗に触れてしまったのでした。一部の女房たちは桑実寺に参詣していたそうですが、彼女たちも帰城次第、皆殺しにされました。寺の長老が、信長の怒りをとりなすために安土城を訪問しましたが、なんと彼も成敗されてしまっています。
こうしたエピソードを見ると、武将相手のモラハラ・パワハラの記録が残っていないからといって、実際の信長はそういうことをする人物ではなかったと結論づけるのは、やはり難しいかもしれませんね。少なくとも本能寺の変の直前には、名実ともに「暴君」となっていた可能性はあります。
安土城での家康たちの接待において光秀が大きなミスを犯し、激怒した信長から即刻追放というパワハラを受けた……という次回のストーリーは、今回検証してきたとおり史料上はそんな事件はなかったと否定されるところですが、先述のような冷酷なエピソードも多い信長だけに、記録にも残らないような細かいトラブルが積み重なって、光秀との関係はかなりギクシャクしていた可能性はあったかもしれないとも思ってしまいました。
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