“浅草キッド”の世界は実在する! 芸で結ばれた表現者たち『絶唱浪曲ストーリー』
#映画 #インタビュー #パンドラ映画館
世代の異なるシスターフッドムービー
港家小柳師匠、その相方を務める曲師の玉川祐子師匠。人生の大ベテランのもとに小そめは通い、彼女たちが長年にわたって培ってきた伝統芸を、日々体になじませていく。稽古が終われば、祐子師匠が用意したお茶菓子をつまみながら、リラックスした茶飲み話に。おばあちゃんと孫娘のような、ほんわかした時間が流れていく。
川上「年齢が離れていたこともあったのか、小柳師匠も祐子師匠も、小そめさんをかわいがっていました。他の伝統芸能に比べ、浪曲の師弟関係はよりアットホームだと聞いたことがあります」
浪曲の世界には「お腹を空かせて弟子を帰さない」という鉄則があるそうだ。決して裕福な生活ではないものの、同じ道を志す弟子たちに対する師匠の温かい気遣いが感じられる。
川上「映画の中にも『君塚食堂』という木馬亭のお向かいにある大衆食堂が映りますが、寄席が終わると師匠方は弟子や若い前座さんたちに声を掛けて、そうした食堂でご飯を食べさせてから帰すんです。私もたびたびごちそうになりました。師匠たちは遊ぶのも大好きで、大衆演劇を一緒に見に行ったり、カラオケにも誘っていただいたこともありました」
師匠は芸を教えるだけでなく、芸の世界での生き方も伝える。また、弟子である小そめが高齢の師匠たちの日常生活をケアしている様子もうかがえる。世代の異なるシスターフッドムービーでもあるようだ。
舞台で見せる芸だけが、芸人の芸ではない
こんな幸せな関係がいつまでも続けばいいのにと思う。だが、小柳師匠が体調を崩し、舞台に上がってわずか数分で退場してしまうという不測の事態が起きてしまう。その後すぐに病に倒れ、小柳師匠は愛知にある自宅に引きこもることに。
川上「愛知で暮らしている実の娘さんの家で、小柳師匠は療養することになりました。小柳師匠は旅回りをされていた頃、自宅に戻るのは年に数回程度だったと聞いています。娘さんは思春期もひとりぼっちで過ごし、母親に対する憧れと同時に寂しい想いも抱えていらした。本当は小柳師匠がもっと元気なうちに引退してもらい、一緒に温泉など巡って、親子らしい時間を過ごしたかったそうです。でも、小柳師匠は最後の最後まで舞台に上がりたかった。芸人を親に持つのは大変なことだなと感じました」
ベッドで寝たきり状態となった小柳師匠のもとに、小そめが見舞いに訪れる。寄席に出られなくなった師匠に会うのも、つらそうだ。それでも師匠を励まそうと、カセットテープを再生する小そめ。流れてくるのは、小柳師匠の全盛期の一席を録音したもの。それまで布団の中で固まっていた小柳師匠が、ラジカセから流れてくる自分の節に合わせて体をくねらせ始めたことが分かる。観る人によっては、芸人としての生きざまが感じられる感動的なシーンにも、芸人の老いた姿を記録したシビアなシーンにも感じられるだろう。
川上「ベッドで横になっている小柳師匠にカメラを向けるつもりはなかったのですが、カセットテープの音に反応して小柳師匠の体が動き始め、師匠の体に浪曲が蘇ったことが感じられて、カメラを回したんです。窓から射す陽の光と、ラジカセから流れるエコーのかかった曲と相まって、私にはとても神々しい瞬間に感じられました。芸人さんの中には、舞台で見せる芸だけが芸ではなく、生きていること自体も芸であるように感じられる方がいると、私は思うんです。一瞬の芸の輝きには長く体に染み込ませた芸のエッセンスが詰まっていて、とても美しかった。小柳師匠が小そめさんに見せてくれた最後の舞台だったのではないかと思っています」
2018年5月、五代目港家小柳は亡くなった。佐賀県出身、1945年に14歳で浪曲の世界に入ったことは分かっているが、はっきりした生年月日は不明なままだった。ここから『絶唱浪曲ストーリー』は第二部へと突入する。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事