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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

家康の「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」は捏造? 『どうする家康』でも描かれた誕生日問題

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

※劇中では主人公の名前はまだ「松平元康」ですが、本稿では「徳川家康」に統一しております。家康に限らず、本連載において、ドラマの登場人物の呼び方は、原則として読者にとってなじみの強い名称に統一します

 

家康の「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」は捏造? 『どうする家康』でも描かれた誕生日問題の画像1
大樹寺での家康(松本潤)と本多忠勝(山田裕貴) | ドラマ公式サイトより

 『どうする家康』第2回のタイトルは「兎と狼」でしたが、「狼」は織田信長(岡田准一さん)であるとして、「兎」は繊細で臆病な普段の家康(松本潤さん)のことを指すのでしょう。しかし、「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」の家康は、窮地に追いやられると突如“やる気スイッチ”が入り、「兎」から「虎」に変身することができるのです。「虎」になった家康は、超人的な行動力を見せ、ふりかかった問題を一気に解決してしまうのでした。そしてそんな家康の姿に、最初は反抗的だった本多忠勝(山田裕貴さん)ら家臣たちは惹きつけられていく……そういう展開を毎回繰り返すつもりなのかもしれません。ヒーローアニメとか少年漫画っぽい感じですが、聞くところによると、脚本の古沢良太さんは一時期、本気で漫画家を目指していたそうですね。

 家康の母・於大の方の初登場シーンがいきなり出産場面で、松嶋菜々子さんが天井から下がった縄を引っ張りながらウンウン唸っていたのには驚かされました。「重要なキャラの初登場はいかにインパクトを与えるか」という漫画風の作劇セオリーがここでも反映されており、『どうする家康』は「大河ドラマ」としてはかなり異質な存在になっていきそうな気がしています。一部では、「火縄銃はドラマみたいに連射はできない」など考証のゆるさを指摘する声もあり、それに加えてこうしたインパクト重視の演出には賛否両論あるのでしょうが、「このキャラのこういうところを見せたいのだ」という制作側の意図が伝わりやすく、これはこれでドラマとしては成功しているのではないか、と思いました。

 第2回では、家康たちが籠った大高城が信長軍に包囲されてしまったものの、なぜか信長は何もせぬまま退却してくれたので、家康一行は命からがら三河方面への退却を始めます。しかし、親戚の松平昌久(角田晃広さん)のだまし討ちに遭い、家臣に重傷者も出してしまいました。

 父祖の代からの菩提寺である大樹寺に逃げ込んだ家康一行ですが、ここも松平昌久の手勢に取り囲まれ、弱気になった家康には、自害して首を差し出せば家臣たちの命は許されるだろうという程度の解決策しか思い浮かびません。しかし、介錯を申し出ながら、「おぬしを守って死にたかった」などと涙する本多忠勝や、寺に預けられていた榊原康政(杉野遥亮さん)とのやり取りを通じ、家康の“やる気スイッチ”が突如オンに。豹変した家康は“虎”のように雄々しく立ち回り、苦境を脱するのでした。言葉にまとめると本当に「大河ドラマ」なのか、という荒唐無稽さはありますが、松本潤さんがワンシーンごとに役柄を生き抜くタイプの“憑依型”の俳優であることが、このドラマの展開にも独特の説得力を与えており、「ほぉ~」と見ているうちに「次回につづく」となるわけです。

 ドラマでは、「兎」を狙う「狼」として描かれる織田信長のキャラにも人気が集まっています。家康がまだ少年のときの信長と悪友たちは揃って赤い衣服をまとっており、まさに不良グループごとにチームカラーがある“カラーギャング”のようです。信長が家康少年のことを「オレのおもちゃ」呼ばわりし、武術の稽古と称して組み伏せ、いじめている姿に妄想の燃料を得たBL界隈が非常に盛りあがり、Twitterのトレンドに「スーパー攻め様」のワードがランクインするなど、(かなり局所的にせよ)話題性のある第2回でした。

 さて今回は、「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」といわれてきた家康の誕生秘話についてお話したいと思います。

 徳川家康の誕生日は、『徳川家家譜』などの「公式情報」でも天文11年(寅年、1542年)12月26日ということになっています。いつから彼が「寅の年、寅の日」だけでなく「寅の刻生まれ」ということになったかはよくわかりませんが、「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」というのは、当時の武将にとっては、かなり特別な属性でした。

 かつて聖徳太子が、物部守屋(もののべのもりや)の討伐を毘沙門天に祈願していたところ、寅の年、寅の日、寅の刻に昆沙門天が太子の前に現れ、そのご加護を受けた太子は物部守屋に勝利できた……という伝承は戦国時代でも有名だったので、ドラマの於大の方が「急いで」出産したのも、その時刻に生まれている意味が大きかったからでしょう。

 しかし寅の刻といえば、本当は午前3~5時です。ドラマでは、陰暦12月(西暦でいえば1月後半)の早朝とは思えない明るさの中での出産シーンでしたし、その後の於大の方と家康の父・松平広忠(飯田基祐さん)の会話で、「本当は卯年生まれでは?」という広忠に於大の方が「卯年ではいけません」といって、「何日か早く生まれたことにすればよいのです!」と押し通そうとしていたことからも、ドラマの家康も実際には「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」ではないという設定のようですね。(1/2 P2はこちら

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