『鎌倉殿』北条義時が見た「白い犬」の意味と、義時の「意外と気にしい」な側面
#小栗旬 #鎌倉殿の13人 #大河ドラマ勝手に放送講義
──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」では、源実朝(柿澤勇人さん)が兄・頼家(金子大地さん)の死の真相を三善康信(小林隆さん)から教えられ、兄の遺児・公暁(寛一郎さん)に涙の懺悔をするシーンなど、三谷幸喜さんの作り出すドラマに惹きつけられました。
実朝の右大臣拝賀の儀式において、義時(小栗旬さん)から剣持役を奪い取る源仲章(生田斗真さん)も凄みがありました。策謀家なのに、どこか軽薄で、小物感が拭えない人物としてドラマでは描かれてきた仲章ですが、本気で義時に挑みかかってきた彼の表情は「恐ろしい」の一言でした。
政子(小池栄子さん)が、大江広元(栗原英雄さん)による特別な配慮で、我が子・実朝の晴れ姿を御簾の影から覗くという設定も興味深かったですね。途中までは実衣(宮澤エマさん)から誘われても「行かない」と言っていた政子なのに、最終的に鶴岡八幡宮まで出向いたのは、何か虫の知らせのようなものがあったからでしょうか……。史実の間を、創造力で埋めていく三谷さんの脚本は素晴らしいです。
このようにドラマオリジナルの要素が目立った第44回「審判の日」でしたが、三浦義村(山本耕史さん)の右大臣拝賀儀式への参加が、以前に儀式の開始が遅れるトラブルを義村が起こしたことを理由に実朝から拒絶されたのは、本当にあった話です。実朝が左大将を任命された際にも八幡宮において祝賀行事の「直衣始の儀」が行われたのですが、三浦一族のトップであると自認する義村と、この一族の年長者である長江明義(ながえのあきよし)の間で、格上とされる配置位置の「左」をどちらが陣取るかの争いが起こり、そのために儀式の開始が遅れる事件が起きました。実朝が「年長者の長江を立てろ」と命令し、やっと義村が折れたのですが(『吾妻鏡』)、和田義盛の死後も、三浦一族には「誰が本当のリーダーか」をめぐっての諍いが相次いでいたのです。
しかし、第44回でもっとも印象深かったのは、暗闇を背景に義時が謎の白い犬と向き合う冒頭のシーンだったでしょう。犬が義時に向かって吠える仕草を見せると、鳴き声ではなく、源頼朝が落馬して危篤に陥った際に、一部の登場人物にだけ聞こえていた鈴の音が鳴っていました。これは『吾妻鏡』にも記述がある、義時が見た「警告夢」を表現したシーンだと考えられます。今回は史実でも「意外と気にしい」な人だった義時の信仰心についてお話しようと思います。
『吾妻鏡』によると、建保6年(1218年)7月、義時は(鎌倉殿の御所にも近い)大倉の地に、薬師如来を祀った薬師堂を建てると言い出しました。建保7年1月の右大臣拝賀の儀の際に起きた実朝暗殺事件の半年前のことです。実朝が後鳥羽上皇から左大将に任官された頃で、慌ただしい時期でした。
義時は建保6年6月に行われた実朝の左大将拝賀の儀に参加していますが、その直後に薬師如来をお護りする十二神将の一柱として知られる「戌神(じゅっしん)将」(十二支の戌(いぬ)を現す神)から、不吉な夢のお告げを得ました。「今回の実朝の儀式は無事に済んだが、来年の右大将拝賀の儀にお前は参列してはいけない」と夢の中で戌神将から告げられた義時は、にわかに信心を起こしたそうです。義時は薬師堂を建て、薬師如来と戌神将を含む十二神将の像を作らせて堂内に安置し、自身の安全を祈願しようとしました。幕府において夢でお告げを得る人物といえば、夢日記をつける実朝が第一に思い出されますが、義時が自身の見た「警告夢」を彼に告げることは、なぜかなかったようです。
義時の薬師堂建立計画に時房や泰時たちは反対しましたが、義時は諦めず、私財を投げうち、薬師堂を5カ月ほどでスピード完成させました。落成は実朝の右大臣拝賀の儀式が行われる前月、つまり建保6年12月だったそうです。
『鎌倉殿』の義時は薬師堂について、もともと建てる予定だったとか、「もちろん私は夢のお告げなど信じてはいない」とも言っていました。それを実衣から「意外と気にしい」と少々からかわれてもいましたが、鎌倉側の公式史料である『吾妻鏡』に、義時が謎の信仰心を起こしたことが記されているのは興味深く思われます。(1/2 P2はこちら)
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