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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『鎌倉殿』でも暗躍を見せる三浦義村の“裏切り”と「和田合戦」後の思わぬ“誤算”

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『鎌倉殿』でも暗躍を見せる三浦義村の“裏切り”と「和田合戦」後の思わぬ“誤算”の画像1
巴(秋元才加)と和田義盛(横田栄司)|ドラマ公式サイトより

 『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」では、起請文を燃やした灰を(おそらく)水に溶かし、飲み込む三浦義村(山本耕史さん)たちの姿には驚かされました。寺社に奉納された有名な人物による起請文の現物が現在まで残されているので、必ずしも燃やして、残った灰を飲み込まねばならない作法があるというわけではなさそうです。しかし、人を呪うケースでは、誰かを呪った証拠の隠滅を目的として、飲み込んでしまうことが推奨されるようです。

 起請文は神仏との誓約書なので、紙ならなんでもいいというものではなく、寺社の発行する厄除けの護符「牛王宝印」の裏に書くのが正式で、その後、寺社に出向いて、御神体もしくは御本尊の前で文章を朗読した後に燃やし、残った煤を加持水と呼ばれる特別な水に溶かして、飲んでしまうとよいのだとか……(宮島鏡『呪い方、教えます。』作品社)。

 これまでも『鎌倉殿』では起請文を書く場面が何度も出てきましたが、今回は和田義盛(横田栄司さん)の妻である巴(秋元才加さん)が、いまいち信頼できない三浦義村を味方の側に留めるための方策として提案しました。史実どおりなら巴の“女の勘”は当たってしまうわけですが、次回の予告編では、巴みずから再び甲冑を身にまとい、女武者として戦場に立つ映像がありました。和田一族滅亡後は、巴も鎌倉から逃げのびて(もしくは戦死して?)、ドラマからも退場してしまいそうですね。

 このコラムでは、文字数と内容の都合上、巴を熱演している秋元才加さんの演技にこれまで触れることはできていませんでした。秋元さん演じる巴は、通りのよい美声、そしてハキハキとした立ち居振る舞いが魅力的なキャラで、木曽義仲(青木崇高さん)の愛妾だった頃の一途な感じと、和田義盛の妻になった後のおおらかさの演じ分けが素晴らしかったです。

 和田義盛の三男・朝比奈義秀(栄信さん)は、義盛と巴の間に生まれた子であるとする説が根強くあるのですが、残念ながら、史実ではなさそうです。しかし「和田合戦」において超人的な武勇を何度も見せつけた朝比奈義秀と、その伝説的な女武者ぶりが『平家物語』に残る巴をどうしても結びつけたくなる気持ちはよくわかります。

 さて、お話が巴にずれてしまいましたが、次回の『鎌倉殿』第41回「義盛、お前に罪はない」は「和田合戦」の勃発から集結に至るまでの約2日間が濃密に描かれるでしょうから、北条家を勝利に導いたキーパーソン・三浦義村が果たした役割と、合戦後の思わぬ顛末について触れておこうと思います。

 義村が「和田義盛の味方をする」と誓う起請文を書いたことは『吾妻鏡』にも見られる史実です。しかし、その直後に義村は弟・胤義(たねよし)と相談し、「恩賞をたくさん与えてくれた源氏一門(の子孫・実朝)を裏切ることはやはりできない」と結論づけ、あっさりと北条義時に和田の企てを密告しています。この義村の裏切りがあったがゆえ、義時は余裕をもって、戦に臨めたようです。

 『吾妻鏡』によると、建暦3年(1213年)5月2日の午後に義盛蜂起の知らせが入った時、実朝は御所で酒宴中で、義時は囲碁の会に出ていました。しかし、事前に義村から報告を受けていた義時は特に慌てもせず、装束を改めた上で実朝の御所に向かい、尼御台(北条政子)と実朝の御台所を鶴岡八幡宮に待避させています。このあたりにも、まるで事前に示し合わせが出来ていたかのようなスムーズさが感じられてしまいます。

 「和田合戦」についてはまず、和田義盛の蜂起よりも少し前にあった「泉親衡の乱」から振り返って事件を俯瞰してみましょう。

 ドラマでは「正体不明の男」こと泉親衡が、後鳥羽上皇(尾上松也さん)からの密命を受けた源仲章(生田斗真さん)だったという解釈になっていました。『吾妻鏡』によると、泉親衡は多くの御家人たちに「(二代鎌倉殿)頼家の遺児・千寿を擁立し、実朝を鎌倉殿から引きずり下ろし、北条(特に義時)を討ち取れ」と焚き付けた後、姿をくらませてしまい、捕らえることはできなかったとされています。実際、後鳥羽上皇が後年、「承久の乱」で全国に下した命令が、「幕府を潰せ」や「鎌倉殿を討て」ではなく「北条義時を討て」だったことは有名ですから、泉親衡=源仲章は面白い設定だったと思います。

 『吾妻鏡』によると、「泉親衡の乱」に関わったとして和田義直、義重という二人の息子と甥の胤長が逮捕された時、当主の義盛は鎌倉を“偶然”留守にしていました。これが偶然ではなく、義盛の不在を狙って起きたものだったと考えると、「泉親衡」という謎多き人物は、和田一族を滅ぼしたい義時によって作り出された“架空の人物”と考えることもできるかもしれません。実朝への謀反の罪は同じにせよ、仮に「泉親衡の乱」までもが北条家に仕組まれた“罠”だったと義盛や和田一族が気づいたとすると、彼らがより一層、怒り狂ったとしても仕方ないでしょう。(1/2 P2はこちら

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