実録ミステリー『空気殺人』 大企業と国家が隠蔽しようとした家庭内大量殺人
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庶民が抱くやりきれない怒りや悲しみを晴らす韓国映画
原告団を率いる医師のテフンを演じたのは、実録犯罪映画『殺人の追憶』(03)でソウルから来た若手刑事を演じたキム・サンギョン。すっかり父親役が似合う年齢になった。民主化を求める学生や市民が軍によって鎮圧された光州事件を描いた『光州5・18』(07)では主人公となるタクシー運転手、やはり実話をベースにした『一級機密』(17)では軍部の不正を命懸けで内部告発するエリート将校を演じている。韓国社会の闇と向き合うことで、評価を高めてきた俳優だ。
医師としての確かな知識、原告団を束ねるエネルギッシュさのある本作の主人公・テフンは、必ずしも正義のヒーローとは言い切れないキャラクターとして設定されている。自分の子どもや妻が倒れるという悲劇に見舞われたテフンだが、もし身内に不幸が起きていなかったら、時間も体力も費やす裁判に彼は関わっていただろうか。
テフンは病院に運ばれてきた患者たちに医者としての誠意は尽くしても、メーカーや国を相手取った民事裁判にまでは関心を示さなかったかもしれない。メーカーは利益さえ上がればいい、長老議員は今の立場を守れればいいと考えているように、多くの一般市民も事件を他人事として感じていた。自分や自分の家族さえ幸せなら、それでいい。だが、そんな利己主義的な社会が、セウォル号沈没事件や加湿器殺菌剤事件などの悲劇を次々と招くことになった。
裁判でテフンと対峙することになる、メーカーのチーム長・ウシクを演じたユン・ギョンホも独特な存在感を放っている。大ヒットドラマ『梨泰院クラス』では刑事役を演じていた個性派俳優だが、彼が演じるウシクも妻や子どもを愛する家庭人であり、それゆえに企業内での出世を望んでいる。この裁判をうまく乗り切れば、現地法人のトップの椅子が約束されている。家族と家庭を愛するがゆえに、裁判所で激しく火花を散らすテフンとウシクだった。
韓国映画らしく、現在進行形である事件を題材にしながら、観客の興味を逃さないよう物語の展開は二転三転する。韓国映画は実際に起きた犯罪や社会問題をエンタメ化するのが、抜群にうまい。もはや伝統芸の域だと言えるだろう。
朝鮮半島には「恨(ハン)」と呼ばれる思考様式がある。古くから列強国が内政に干渉してきた長い歴史の中で、圧政に苦しむ庶民はやりきれない怒りや悲しみを“生きる活力”へと昇華させてきた。そうしなくては、生きてはいけなかった。そんな歴史から「恨」は培われ、独自の音楽や踊りが生み出されてきた。
1980年代以降、民主化運動が進んだ韓国では、映画文化が花開くことになった。韓国の映画文化には、この「恨」の伝統が受け継がれているように感じる。
今なお韓国で起きる多くの事件や事故を映画化することで、韓国の庶民はやりきれない心情を浄化させようとしているかのようだ。亡くなった人たちの無念さを、せめて映画の中だけでも晴らしたいという想いもあるに違いない。目には見えない様々な情念が、韓国映画には映し出されている。
『空気殺人~TOXIC~』
原作/ソ・ジェウォン 監督・脚本/チョ・ヨンソン
出演/キム・サンギョン、イ・ソンビン、ユン・ギョンホ、ソ・ヨンヒ
配給/ライツキューブ 9月23日(金)よりシネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次公開
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