『鎌倉殿』北条家の「悪名」さらに…? 時政討伐を頼家に命じられた仁田忠常の最期
#鎌倉殿の13人 #高岸宏行 #大河ドラマ勝手に放送講義
仁田忠常は鎌倉殿と北条家の板挟みの中で…
病床で意識を取り戻し、「比企能員の変」における北条家の所業に怒った頼家は、和田義盛と仁田忠常の二人に御教書(みぎょうしょ、家臣に対し自分の強い意思を伝えるための書状)」を送り、「変」の主犯だと思われる北条時政討伐を命じます。“史実”ではこれが頼家の出家のきっかけとなるのです。
時政討伐の命を受けた和田と仁田ですが、ふたりの対応は異なりました。北条時政と親しかった和田義盛は、悩んだ末に頼家からの書状を時政に見せてしまいます。一方、仁田忠常も鎌倉有数の勇者として知られる武士で、頼朝や政子からの信頼も厚く、北条家との距離もやはり和田と同じように近い人物ではありましたが、彼は頼家からの手紙をなぜか時政には見せませんでした。
『吾妻鏡』によると、時政の館において、比企能員の殺害を担当した二人の武士の一人が仁田でした。同書の記述では、仁田忠常と天野蓮景が能員の左右の手をつかみ、竹やぶまで引きずっていって彼を殺したそうです。
この事件から4日後の建仁3年(1203年)9月6日、仁田は北条時政の屋敷に呼び出されました。この日、仁田が時政から呼ばれた表向きの理由は、比企能員を討ち取ったことの褒章について話し合うためでしたが、それにしては非常に長い時間がかかったそうです。
仁田の手元にはこの時すでに頼家の御教書が届いており、和田義盛の“密告”により北条家はこのことを把握済みです。北条家側としては、頼家の書状について、仁田が自発的に語ってくれることを期待していたのかもしれません。しかし、最後まで仁田は喋らなかったようです。仁田にとって主君はあくまでも頼家であり、北条家にいくら近い位置にいるとはいえ、主君を裏切るようなことはできなかったのでしょう。また、仁田は頼家にとって一番頼れる存在だった比企能員を自分の手で殺したことを激しく後悔していたのかもしれません。
仁田が頼家の御教書を受け取っていることは彼の二人の弟たちも知っていました。そのため、兄が帰ってこないのは北条家に討たれたからだと弟たちは早合点し、北条義時の屋敷に攻め込んでしまうのですが、なぜかそのことが時政のもとに伝わり、時政邸から帰宅中の仁田は弟たちともども謀反の罪に問われ、その場で粛清されてしまいました(幸いにして義時は政子のもとに出かけていて留守でした)。
このエピソードは『吾妻鏡』に出てくるものですが、時政邸から帰宅中の仁田は加藤景廉という武士に襲われたとされているものの、ドラマには加藤が登場していないようです。『愚管抄』では、仁田は北条義時(の手の者)に討たれるとされているため、ドラマではこちらの説が採用されるのかもしれません。
仁田忠常役のティモンディ・高岸宏行さんの本業は芸人さんで、プロ野球選手(投手)としても活躍しておられるそうです。ドラマには初登場時からその恵まれた体躯で異彩を放ち、セリフも朗々としていたので印象に残り、どこの劇団の俳優さんだろう、と思って調べたことを覚えています。『鎌倉殿』の仁田は基本的にいつもほがらかなキャラでしたが、どんな最期を迎えてしまうのでしょうか。
ドラマの比企能員は「北条は策を選ばぬだけのこと。そのおぞましい悪名は永劫消えまいぞ」という呪いのような言葉を吐いて死んでいきましたが、仁田兄弟の粛清も北条家の悪名のひとつとして数えられる事件ではないでしょうか。
「比企能員の変」の余波は仁田兄弟の処刑だけでは収まらず、彼らを煽動して時政を殺そうとした頼家にも及ぶことになりました。『吾妻鏡』によると、仁田兄弟の死の翌日の建仁3年9月7日、政子の命で頼家は出家させられました。皮肉にもこの日は「頼家の死」を告げるべく、鎌倉を発った使者が京都に到着した日です。出家とは「生きながらにして死ぬ行為」でしたから、北条家側もよく考えたものだと感心してしまいます。
朝廷からは、頼家の弟の千幡が元服して実朝となり、鎌倉殿を継ぐことへの許しが出ます。一方で頼家は、病気療養の名目で伊豆の修善寺に送られましたが、それから1年ほど後に残酷な方法で命を奪われています。これはまた次回以降、詳しくお話ししますが、今後は、さまざまな(場合によっては慣れ親しんだ)キャラがドラマから矢継ぎ早に退場していくことになると思われます。義時ならずとも複雑な思いにとらわれてしまいそうですね……。
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