なぜ井上陽水の詞は“シュール”なのか 「陽水節」が生まれるまでの変化と挑戦
#井上陽水 #TOMC
「才能があればなんでも歌にできる」というスタンスの実証
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陽水は、1982年の「FM STATION」(ダイヤモンド社)におけるインタビューで、仮歌を収録する際、歌詞はまだ完成形ではないことがほとんどだと語っている。そして収録後、ディレクターとは「そのうち変えよう」と話すものの、仮歌をずっと聴いているうちに「これでいいんじゃないか」「変えるとなにか違った感じがしてくる」と、“未完成”の歌詞のままでいいのではと思うようになるという。結果、周囲から「商品にならない」との反発も受けるが、それでも自分自身が「面白がっている」状態で出すことを優先していたようだ。歌詞に限れば陽水史上屈指の怪作と目される「My House」についても「当初は大幅に歌詞を変更する予定だった」と語っており、すなわち本曲は歌詞の大部分が「仮の状態」のまま世に出たと推測される。
同年の「FMレコパル」(小学館)では、ビートルズの「Yesterday」(’65)にまつわる逸話に触れているのも興味深い。この名曲は制作段階で「Scrambled Eggs(スクランブルエッグ)」という仮のタイトルが付けられていたという逸話が残っており、陽水はこれを例に挙げて、「そのような(テキトウな)タイトルでいいんだったらいくらでもできる。それを『Yesterday』までにするのが大変な作業なのだ」と、作詞の苦労について語っていたのだ。ちなみにこの「Scrambled Eggs」の逸話は作者のポール・マッカートニー自身が公式に認めているもので、有名な歌い出し「Yesterday, all my troubles seemed so far away(昨日まで面倒ごとなんて無縁だったのに)」も当初は「Scrambled eggs, Oh my baby how I love your legs (スクランブル・エッグ、僕がどれだけ君の脚を愛していることか)」という仮の歌詞だったという(2011年にはテレビ番組の企画で、ポール自らこの歌詞での歌唱を披露している)。
陽水はリリースのためにそうした仮の詞・タイトルをアップデートしていく作業について、「わざわざつまらなくしている」「世の中の物差しに合わせている」気がすると述べている。1979年の「平凡パンチ」(マガジンハウス)のインタビューでは、世間一般に親しまれるポップス/歌謡曲を聴いている層からはテーマにならないと思われている物事であっても「才能があればなんでも歌にできる」という自信に満ちた言葉を残しており、また同時に「ナンセンスでチャランポランで辻褄が合っていないことを美しく感じる」との価値観を明かしている。すなわち、陽水はこの時期にはすでに、既存のポップソングの枠組み・限界点を冷徹に見定め、自身の「才能」によって積極的かつ自覚的に「主流」から逸脱しようとしていたことが分かる。前述の「My House」や、ユーモラスなほどにカタカナ語がひしめく「チャイニーズ・フード」(‘82)などは、その顕著な例だろう。また、こうしたエピソードを踏まえてみると、「金属のメタル」「川沿いリバーサイド」という日英の同語反復が耳を引きつける「リバーサイドホテル」(’82)も、彼なりの明確な挑戦だったように思えてならない。
「陽水節」の完成と、その完成を拒むように続く挑戦
ここまでのように、80年代前半までの時点で、陽水の詞作には前述の「抽象性の肯定」「リズム感の重視」に加え、「〈なんでも歌にできる〉という自負」「ナンセンスの賛美」といった要素が色濃く反映されるようになり、現代の私たちが最初にイメージする「井上陽水の歌詞」の土台はほぼ完成を迎えることになる。この個性は、安全地帯や中森明菜への提供詞やセルフカバーアルバム『9.5カラット』(‘84)の記録的ヒットといった80年代中盤の「第二次陽水ブーム」期においてはそこまで表出しなかったものの、その後、ドラマ主題歌として1988~89年に人気を博した「リバーサイドホテル」や、ミリオンヒットとなったPUFFY「アジアの純真」(‘96)などを通じ、時間差でさまざまな世代へと広がっていった。
なお、本稿冒頭でも紹介した「アジアの純真」の歌い出し「北京 ベルリン ダブリン リベリア」については、作曲を務めた奥田民生から上がってきたデモテープの鼻歌を聴いた陽水が「どう考えてもそう言っているように聴こえる」ということで採用した、という逸話がある(「サンケイスポーツ」2016年6月2日付)。自身で作曲していないナンバーを歌うことが増えた90年代ならではのエピソードだが、ここまで本稿にお付き合いいただいた方からすれば、まったく意外でないと感じた人も多いのではないだろうか。まさしく「陽水らしい」判断だろう。
前回、陽水のサウンド面は90年代以降、初期の叙情性への回帰が見られるなど円熟の境地を迎えるという話をしたが、詞作の面でも90年代から2000年代にかけて同様の深化を見せる。例えば、「少年時代」(‘90)における「風あざみ」のような造語を織り交ぜたバラード「Final Love Song」(‘02)は、王道の曲調でありながらサビ頭に「ビギナ声」という挑戦的な造語をフックに用い、かつ、人名を用いて細かく母音で韻を踏む(「二コラソン」と「WE’RE ALL ALONE」)など、これまでにも見せたさまざまな技巧・発想を駆使しつつも、新境地も垣間見せた記念碑的な楽曲となっている。
このような「語尾にカタカナ語を配して韻律を整えつつ、意味性よりも自らの発声の自然な心地よさに忠実であろうとする詞作」はこの曲のみにとどまらず、90年代中期以降のさまざまなテイストの楽曲で多用されるようになり、ある種の「陽水節」として完成されていった。その一方で、同時期に秋元康や三谷幸喜、町田康などさまざまな人物から作詞提供を受けていたのは、ある意味でそのスタイルの「完成」を自ら拒み、音楽的挑戦を続けようとする狙いがあったからこそかもしれない。常に自らの表現の在り方に敏感であり、今なお現役であり続ける陽水の今後の作品ではどのような挑戦がなされるのか。今後も彼の活動から目が離せない。
作詞:秋元康
作詞:三谷幸喜
作詞:町田康
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本稿で紹介した井上陽水の貴重なインタビュー・証言は、『井上陽水全発言』(えのきどいちろう編・福武書店/1994年)を参照させていただいた。
本稿で紹介した楽曲を中心に、「井上陽水の詞のシュールさ」を考える上で参考となりそうな楽曲をまとめたプレイリストをSpotifyに作成したので、ぜひご活用いただきたい。
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