ナチス体験者が語る『ファイナル アカウント』 怪物よりも恐ろしい存在とは?
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「知らぬ存ぜぬは許しません」奥崎謙三化するホランド監督
ヒトラー親衛隊(SS)に所属していた男性は誇らしげに、当時の勲章をカメラの前で披露する。
「虐殺は誤ちだったが、ヒトラーの理念は間違ってはいなかった」
「エリートたちは虐殺には関わっていなかった」
「(戦勝国側が主導した)ニュルンベルク国際軍事裁判を、私は認める気はない」
若かりし頃のSS姿の彼は、とても凛々しい。美しい思い出を胸に、この男性は2015年に101歳で亡くなっている。
女性たちも証言する。ドイツ女子青年団に所属し、ブレーメンにある潜水艦造船所兼防空施設に勤めていた女性は、収容所にいたユダヤ人たちが強制労働に従事させられ、虐待されていたことを知っていた。
「人間が人間をあのように扱ったなんて恥よ。ただし、私は給与計算係だったから、まったく無関係」
証言者のコメントは、(1)私は知らなかった (2)私は関わっていなかった (3)もし知っていたなら絶対に違う反応をしていた という3つのタイプに分類されることも、映画の中で言及されている。
このくだりを観ていて、原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(87)を思い出した。ニューギニア戦線からの帰還兵・奥崎謙三が戦争責任を追及し続ける『ゆきゆきて、神軍』のキャッチコピーは「知らぬ存ぜぬは許しません」だった。ホランド監督自身が奥崎謙三化して、「ホロコースト」という惨劇を招いた加害者たちの欺瞞を明らかにしていく。
奥崎謙三のように、カメラの前で暴走するわけではない。だが、ホランド監督は冷静に加害者像を浮き彫りにしていく。「収容所があることを知らなかった」「政治犯だけが収容されていると思っていた」などの発言の後に、「収容所で虐殺された死体が焼かれると、異様な臭いがした」という別の証言者のコメントが用意されている。死体を焼く度に、収容所の周辺2キロにわたって異臭が漂ったという。
欧州各地にあった収容所の近辺で暮らす人たちは、ユダヤ人大量虐殺の事実に気づいているはずだった。だが、収容所や軍の施設などで働く人たちは、戦時中そのことを口にすることはなかった。虐殺された遺体を見ても、見ていないふりを通した。
もちろん、証言者の中にはナチスを支持していたことを悔いている人物もいる。親衛隊に所属していた男性は、ナチ政権の高官らがユダヤ人問題の最終的解決を決定した「ヴァンゼー会議」の記念館において、若者たちに向かって自身の体験談を語っている。
「私は殺人組織にいた。私が恥じているのは、自分があの組織に加わってしまったこと。自分の部隊や(親衛隊が腕に入れていた)刺青を誇りに思っていたことだ」
男性は懺悔し、若い世代に向かって排他的な民族主義がもたらす高揚感に騙されないようにと注意を促す。ところが、その発言を聞いていた若者は怒りを爆発させる。「ドイツ人であることを恥じなくてはいけないのか」と喰ってかかる。
第一次世界大戦での敗戦後、ドイツ国民は貧しい生活を強いられ、そこから「優生思想」に基づくナチズムが生まれ、瞬く間に広まっていった。今の若い世代も、同じように格差社会の中で厳しい暮らしを余儀なくされている。誇りを持つことすら難しい生活だ。
この証言者と若者は討論の争点がズレているのだが、若者が現状に大きな不満を抱いていることは確かだった。「無敵の人」が次々と現れる今の日本も、決して他人事ではない。(2/3 P3はこちら)
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