女性視点で描かれた戦争の恐怖『戦争と女の顔』 消えることのないPTSDの苦しみ
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戦争映画の多くは矛盾に満ちている。企画意図に「反戦、平和」を謳いながらも、実際に製作された映画の中の戦闘シーンには、観客に高揚感を与えるものが少なくない。スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98)はノルマンジー上陸作戦をリアルに再現しているが、戦争の残酷さを伝えると同時に殺人ショーとしての刺激的な側面も持っている。トム・クルーズ主演の『トップガン マーヴェリック』(22)は、主人公が立案した作戦が成功した後には本格的な戦争が始まることには触れていない。中年男性が夢見るファンタジーとして、作品を成立させていた。そんな従来の戦争映画が観客に与えてきたカタルシスを一切排除したのが『戦争と女の顔』(英題『Beanpole』)だ。
1991年生まれのカンテミール・バラーゴフ監督が撮った映画『戦争と女の顔』は、第二次世界大戦を題材にしたもの。だが、戦闘シーンは劇中ではまったく描かれていない。戦場から帰還した2人の女性を通し、戦争が日常生活にもたらす恐怖を抽出した作品となっている。
本作の原案となっているのは、2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシ出身の女性作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの処女作『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)だ。独ソ戦に従軍したソ連軍側の女性兵500人以上の証言を集め、男性目線で描かれてきた戦争体験記とは異なる、戦場での悲惨な記憶を生々しい皮膚感覚で綴っている。
ナチスドイツから故郷や家族を守るため、10代~20代の若い女性たちの多くが志願兵としてソ連軍に従軍した。その数は80万人にのぼり、衛生兵や通信兵だけでなく、狙撃兵や砲兵、戦闘機のパイロットも女性が務めた。そして、彼女たちは男性兵以上の勤勉さと優れた能力を活かし、戦果に大きく貢献した。
だが、女性兵の多くは男性兵には理解されない悩みを抱えていた。彼女たちは戦場で死ぬことよりも、もっと恐れていることがあった。それは男性用の下着を履いたまま死んでしまうということだった。惨めな姿のまま、絶命することを嫌った。また、女性兵は生理用品を持つこともできなかった。着替え用の下着を持つことさえ許されず、血に染まったズボンは寒さで凍りつくままにしておくしかなかった。
まともな武器さえ持たされず、死んだ兵士が持っていた銃や手榴弾を拾い、ドイツ軍と戦わされた女性兵もいる。女たちが語る戦争には、勇壮さや美しさは微塵も感じられない。
カンテミール監督が脚本も担当した『戦争と女の顔』は、そんな悲惨さを極めた戦争が終わった1945年の秋から物語が始まる。舞台となるのは、2年以上にわたる包囲戦で100万人もの犠牲者を出したレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)。看護師のイーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は軍病院で働き、戦争で傷ついた元軍人たちの世話をしていた。
英題の「Beanpole」は「のっぽ」という意味。背の高い、ひょろりとしたイーヤが、懸命に日常生活に溶け込もうとする姿をカメラは追っていく。(1/3 P2はこちら)
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