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あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#16

井上陽水とアンビエント 知られざる音楽的冒険から“センチメンタリズム”への回帰まで

アンビエント的音楽性の開花

(2/2 P1はこちら
 川島とのパートナーシップが頂点に達したのが、9曲中8曲を川島が(「BANANA」名義で)手がけた『バレリーナ』(‘83)である。このアルバムでは、A面でダブやアフロビートなど同時代のニューウェイヴに通ずるサウンド/リズムの冒険を展開する一方、B面では音数を抑えた静謐なサウンドデザインで統一しており、ある種コンセプチュアルな造りになっている。そして、このB面の4曲こそ、陽水のアンビエント/ニューエイジ/バレアリック的な作風の最初の到達点であろう。

 「Yellow Night」の系譜にある陽水の“妖しい”魅力を突き詰めた「バレリーナ」。ストリングスとシンセサイザーの柔らかな響きに包まれる「虹のできる訳」。シンセサイザーとリズムマシン、コーラスなど最小限の編成で人肌を感じさせるサウンドを聴かせる「ビーズとパール」。前述の「背中まで45分」をよりスムースな方向に発展させたような「夢」。こうした楽曲で会得したサウンドは、のちの『Negative』(‘87)や『ハンサムボーイ』(‘90)でも聴くことができ、いずれもアルバムの要所を締める重要な役割を果たしている。


 『Negative』収録。「記憶」は川島裕二、「WHY」は星勝が編曲を担当


 『ハンサムボーイ』収録。ともに川島裕二が編曲を担当

“センチメンタリズム”への回帰

 ここまでの通り、『white』以降の陽水はそのキャリアを通じ、絶えず作風を変化させ続けてきた。そして、さまざまな音楽的冒険を経た彼の音楽性は、『white』以降興味を失っていたという、かつての「センチメンタル」なフォーク期の作風への回帰が見られるようになっていく。

 1992年、陽水は初期の楽曲を中心にセルフカバーした『ガイドのいない夜』をリリースする。冒頭で紹介した「海へ来なさい」(編曲:瀬尾一三)をはじめ、深いリバーブ(残響音)を湛えたアンビエント的なサウンドデザインが楽しめるアルバムだが、編曲の中心を担う楽器は80年代の音楽性を支えたシンセサイザーに留まらず、ギターを軸にした楽曲も多数収録されている。なかでも、当時JR東日本のCM(地方の風景を写した旅情に溢れるもの)に起用された「結詞」は、アンビエント的な音像だけでなく、アルバム中でも特にフォーク期のファンにアピールするであろうアコースティックギター中心のサウンド、そして強い郷愁を誘うウェットなムードを同時に兼ね備えており、ある意味、彼の音楽的な探求が一巡した瞬間を捉えたとも言える重要なテイクである。


 川島裕二が編曲を担当。オリジナル版は『招待状のないショー』(‘76)に収録

 こうした、ギターをはじめとした生演奏とチルアウト・ミュージック的なサウンドデザインを組み合わせていく方向性は、その後のシングル「5月の別れ」(‘93)でも表出。アルバムとしては『永遠のシュール』(’94)が全編この路線で貫かれており、統一性という観点では彼の全キャリアを通じても屈指の名盤に仕上がっている。その後のオリジナルアルバムたちは、いずれもさまざまなテイストの楽曲を並べたバラエティに富む構成を取っているため、ひとつの美意識に貫かれた“トータルアルバム”と呼べるアルバムはある意味で本作が現時点で最後(企画盤除く) と言えよう。その点でも非常に重要な作品だ。


 「Make-up Shadow」を手がけた佐藤準が編曲を担当


 「真珠」は星勝、「土曜日は晴れた」は陽水自身が編曲を担当

2010年代以降の“世界のトレンド”を先取りしていた陽水

 陽水のある種アンビエント的な作風は、彼の1980年代の音楽的冒険の中で育まれ、やがて「柔らかな歌唱」「聴き手の感性を刺激する歌詞世界」という彼の音楽家としての個性と寄り添うように、円熟期といえる1990年代以降の彼の音楽性における重要な一部分として昇華されていった。2010年代以降の世界の音楽シーンではメジャー/アンダーグラウンドを問わず、アンビエント的なサウンドデザインとポップ・ミュージックを組み合わせた楽曲が増えていったが、このような陽水の変遷はある意味、時代のトレンドを20~30年先取りしたものであったとも言えよう。また、シンセサイザーを主体に非常に人間的な情緒・エモーションを感じさせる作品を1980年代に生み出した英国のバンド、ザ・ブルー・ナイルは近年急速に再評価が進んでいるが、同時期に重要作を多数残した陽水についても、同じ角度から再評価がなされてもよいのではないかと思う。昨年、アムステルダムに拠点を置く世界屈指のリイシュー・レーベル(※時代に埋もれた過去作品の魅力を検証し、再発売するレーベル)であるMusic From Memoryのコンピレーション『Heisei No Oto』(谷口英司氏と佐藤憲男氏が選曲)に陽水の「Pi Po Pa」が収録された際も国内外で静かな話題を呼んだが、こうした流れが今後一層加速していくことを切に願いたい。

 本稿ではアンビエントを中心に音楽的冒険の側面から井上陽水にスポットを当てたが、次回は後編として、現在の彼の「天才・奇才」的な作風がどのように形成されていったか、その背景を彼自身の発言を軸にまとめていきたいと思う。

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本稿で紹介した井上陽水の貴重なインタビュー・証言は、『井上陽水全発言』(えのきどいちろう編・福武書店/1994年)を参照させていただいた。

本稿で紹介した楽曲を中心に、井上陽水のアンビエント/ニューエイジ/バレアリック方面の楽曲をまとめたプレイリストをSpotifyに作成したので、ぜひご活用いただきたい。

B’z、DEEN、ZARD、Mr.Children、宇多田ヒカル、小室哲哉、中森明菜、久保田利伸など……本連載の過去記事はコチラからどうぞ

TOMC(音楽プロデューサー/プレイリスター)

Twitter:@tstomc

Instagram:@tstomc

ビート&アンビエント・プロデューサー/プレイリスター。
カナダ〈Inner Ocean Records〉、日本の〈Local Visions〉等から作品をリリース。「アヴァランチーズ meets ブレインフィーダー」と評される先鋭的なサウンドデザインが持ち味で、近年はローファイ・ヒップホップやアンビエントに接近した制作活動を行なっている。
レアグルーヴやポップミュージックへの造詣に根ざしたプレイリスターとしての顔も持ち、『シティ・ソウル ディスクガイド 2』『ニューエイジ・ミュージック ディスクガイド』(DU BOOKS)やウェブメディアへの寄稿も行なっている。
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とむしー

最終更新:2023/04/28 16:52
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