爆笑問題はコンビでありトリオ。暗黒期を脱した太田の決意と光代の戦略と、田中の自己肯定感
#爆笑問題 #証言者バラエティ アンタウォッチマン!
島田洋七が「ビートたけしの漫才より高度」と称賛
太田と光代が家でテレビを見ているとき、事件が起こった。これで、太田の芸人魂に火が点いた。
「クイズ番組の番宣で、『爆笑問題 続々登場』ってテロップが入って、ナレーションも流れたの。『爆笑問題』っていうワードが普通のワードとして使われちゃったから。それは、太田にとって相当ショックだと思った。自分たちが続々登場するわけないじゃん。パって(太田を)見たら、震えてたのね。もう、何も言えなかった」(光代)
「テロップで『爆笑問題 続々登場』って。ああそうか、面白い問題って意味で使われてるんだと思ったときに、『業界では俺らのことは完全に忘れ去られてるんだな』って。完全に無視されてるっていう」(太田)
これを機に奮起した爆笑問題は、イチから出直すことに。『NHK新人演芸大賞』(NHK)と『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)への出陣を決めたのだ。
「太田と田中から、すごい殺気を感じましたからね。若い人たちに差を付けないといけないって気持ちもあっただろうし」(光代)
爆笑問題は圧倒的勝利を必要としていた。当時の心境については、書籍『対談の七人 』(新潮社)におけるなぎら健壱との対談で、太田が語っている。
「『GAHAHA』の審査員のテリー伊藤さんに『28歳です』って答えたら、『ああ、もう後がないね』って言われて“うわあー”と思った。『お前ら、なんでこんな若手に混じって出てるんだ』って、審査員の高田文夫先生にツッコまれて恥ずかしかったことも記憶にあります。なぎらさんをはじめ、前から知ってる審査員の人たちの前で、新人の顔して漫才やるのは恥ずかしかったですよ。でも、仕事がないから出るしかなかった。(中略)また、勝ち抜きで戦う相手がみんな、全然若い連中なんです。僕らが28で、フォークダンスDE成子坂や海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)が23ぐらいじゃないですかね」(太田)
結果、爆笑問題は『GAHAHAキング』で見事10週勝ち抜けを達成。初代チャンピオンになった爆笑問題に、ビートたけしの盟友である島田洋七が「ビートたけしの漫才より上やね。僕ら、もっとベタベタしてた」と兜を脱いだ光景は、今も忘れられない。
社長になった光代のビジネスセンス
1993年、光代が社長を引き受ける形で事務所「タイタン」(カート・ヴォネガット・ジュニアの小説『タイタンの妖女』に由来)が設立された。
まず、光代が仕掛けたのは「単独ライブの2回開催」だった。レギュラーの仕事を獲得するため、テレビ局の改編期を狙って7月と1月に2回の単独ライブを行ったのだ。
「1回のライブじゃ決定権のある人が来ないと思ったんですよ。最初にライブに観にくるのはADさんとか。で、面白かったらその人たちが決定権のある人を連れてきてくれるだろうという感覚があって。で、2回」(光代)
自身も芸人だった光代はテレビ局の内情を知っており、そこが彼女の強みだった。だが、その戦略を爆笑問題に説明しても、どうも2人は気が進まなそう。賞レースとネタ番組のネタ作りで手一杯だったからである。
「単独ライブって1時間半~2時間やんなきゃいけない。で、俺らは太田プロのときは単独ライブはコントでしかやったことないんだよ。だから、『コント7本作んなきゃ』って思ったわけ。だけどもう、アイデア出ないなと思って」(太田)
しかし、そのタイミングで太田はエディ・マーフィーのスタンダップコメディのビデオをたまたま視聴、考えを改めたようだ。
「(エディ・マーフィーが)全米を回って、マイク1本で2時間しゃべり倒してどっかんどっかんウケてる。『だったら、漫才で(単独を)やれるな』と思って。漫才だったら作れるかもしれないと」(太田)
こうして、新作漫才7本の単独ライブを完遂した爆笑問題。結果、一気に彼らは5本のレギュラーを獲得した。そのまま2人は、7×2=14本の新ネタ(年2回の単独ライブ)に並行して『GAHAHA』『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)等で下ろす時事漫才を作るペースに突入する。ちなみに、2018年に行われた爆笑問題30周年単独ライブは、すべて新作の超長尺コント5本立てであった。
最後に、光代からこんなコメントが。
――社長にとって田中さんはどんな人ですか?
「よく、若手の人に『太田さんってツッコんで大丈夫ですか?』って聞かれるんですよ。いや、太田はお笑いだったら何を言ってもある程度大丈夫。だけど、田中はやめた方がいい。田中は、『俺はお笑いじゃない』って言ったことがあるんです。収録のときに2人がもめてたの。太田が『お前さぁ、お笑いじゃん』って言ったら、『俺はお笑いじゃない』って。『え、爆笑問題ってお笑いじゃないの?』って太田が言ったら、『俺は爆笑問題だけど、お笑いじゃない』って。だから、(田中は)爆笑問題の『問題』の方じゃないですかね(笑)」(光代)
“爆笑太田”と“問題田中”か……。「俺はお笑いじゃない」という田中の叫びは、もともとアイドル志望だった彼の性根から来ているのかもしれない。佐野元春風の映像を自作するため、ニューヨークまでPVを撮りに行ったくらいの狂人である。
とはいえ、太田も光代も決して常識人とは言い切れない。「他の2人がヤバい奴だから、自分がしっかりしなきゃ」と全員が思っているのが、このトライアングルの重要なポイントだ。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事