コロナ禍をサバイブするミニシアターの現状を名古屋の名物支配人がぶっちゃける
#映画 #若松孝二 #ミニシアター #シネマスコーレを解剖する
若松孝二の遺伝子を受け継ぐ映画館
――深田晃司監督や濱口竜介監督が発起人となり、総額3億3000万円をクラウドファンディングで集めた「ミニシアターエイド基金」は、コロナ禍で打撃を受けた劇場にとっては大きかった。
木全 本当に助かりました。「ミニシアターエイド基金」がなければ、完全な赤字でした。映画人たちが見事な結束を見せてくれたお陰で、私たちは救われました。ミニシアターと映画人がこれまで以上に「密」になれた、素晴らしい企画でした。その上、『ドライブ・マイ・カー』(21年)があれだけ話題になった濱口監督は新作『偶然と想像』(21年)をミニシアターだけで上映するようにしてくれた。『偶然と想像』も大ヒットしました。濱口監督のポリシーを感じました。入江悠監督もミニシアターだけで上映する作品として、『シュシュシュの娘』(21年)を制作してくれました。入江監督のミニシアターへのこだわりを感じることができて、うれしかったですよ。若松監督がそうでしたが、監督の持つポリシーと結びついていることは、劇場にとって大切なことだと私は思っています。
――劇場と映画人との関係を、コロナがきっかけで改めて考えることにもなったようですね。ちなみにコロナ禍にあった「シネマスコーレ 」では、他にどんな作品が人気だったんでしょうか?
木全 『2gether THE MOVIE』(19年)がよく入りました。タイのイケメン映画です。もともとはシネコンで上映されていた作品ですが、シネコンでの上映が終わり、うちで上映を続けたところ、ロングランヒットになったんです。ミニシアターが生き残るには、年間2本はヒット作が必要なんです。過去には若松監督の『キャラピラー』(10年)、上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』(17年)などが大ヒットしましたが、近年はなかなかミニシアターらしいヒット作が生まれていない状況でもあったんです。この2年は給付金でなんとか凌ぐことができましたが、給付金のない3年目は勝負の年になります。ヒット作を生み出さないと、ミニシアターのこれからは厳しいものになりますね。
――「ミニシアターエイド基金」は、「シネマスコーレ」の副支配人・坪井篤史さんの言動がきっかけになったと聞いています。
木全 2020年3月に坪井が名古屋在住の映画ジャーナリスト・山口雅氏のインタビューを受け、その記事がネット上の「note」に掲載されたことから話題となり、ミニシアターの窮状を知った深田監督らが「ミニシアターエイド基金」の発足に動いてくれたんです。坪井の言葉が端を発したのは確かですね。
――全国の映画館で上映された「劇場の空気が20分で入れ替わることを可視化した換気実証実験」の動画は、木全さんらの働きかけから生まれたそうですね。
木全 私ひとりではありませんが、愛知県興行協会が企画し、まず愛知県の映画館で最初に上映されました。その後、全興連に働きかけることで全国の映画館でも上映されることになったんです。スモークを使ったあの実証実験の動画を観て、「映画館は換気が行き届いているんだ」と安心されたお客さんは多かったと思います。
――「シネマスコーレ」のスタッフが積極的に行動する姿勢は、若松監督の遺伝子的なものを感じさせます。
木全 若松監督とは「シネマスコーレ」が開館した83年から、若松監督が亡くなった2012年まで長い付き合いがありました。そうした交流の中で、遺伝子的なものを受け継いだ部分があるのかなぁ。道は自分で切り開け。若松監督の生き方から、そのことは学んだようには思いますね。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事