大河ドキュメンタリー『スープとイデオロギー』 ホームビデオが映した母の秘密とは?
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初めて明かされた母親のサバイバル体験
「怖かったで。あっちこっちから射撃の音がバーンバーンって」
認知症を患うようになったオモニが、症状が悪化する直前に重大な過去を語り始めた。まだオモニが結婚する前の、壮絶な体験だった。
大阪府生野区生まれだったオモニは15歳のときに大阪大空襲に遭い、両親の出身地だった済州(チェジュ)島に疎開した。済州島には結婚を約束した男性もいたそうだ。だが、大戦終了後の1948年に起きた「済州四・三事件」に、オモニは巻き込まれてしまう。
韓国では今なおタブー扱いされる「済州四・三事件」は、済州島の住民たちが共産主義者と見なされ、韓国政府軍や警察隊らによって無差別虐殺された事件だ。犠牲者は3万人に及んだとされている。
当時18歳だったオモニは、近隣の住民が次々と処刑される凄惨な現場にいた。婚約者と生き別れたオモニは、幼い妹と弟を連れて命からがら日本へと密航し、広島に逃れることができた。済州島出身だった父親=アポジとは大阪で知り合い、以降は食堂を営みながらアポジの総連での活動を支えるようになった。アポジとオモニは、韓国政府に対する極度の不信感、恐怖心から、北朝鮮親派になったのだ。
日本で生まれ育った3人の兄たちを、両親はなぜ北朝鮮に送り出したのか。日本のマスコミが「地上の楽園」と謳った北朝鮮での生活は、理想とは大きくかけ離れ、兄たちは不自由を強いられた。長兄はうつ病を患った末、病気で亡くなっている。ヨンヒ監督はそのことがずっとわだかまりとしてあった。だが、母親がジェノサイドサバイバーだったことを初めて知り、ヨンヒ監督は言葉を失ってしまう。
現在は韓国屈指のリゾート地として賑わう済州島で70年以上前に起きた悲劇が、本作ではアニメーション表現で再現されている。韓国の劇映画『チスル』(14)でも「済州四・三事件」は描かれていたが、ヨンヒ監督のこれまでの作品を観てきた者には、より身近な出来事として感じられるだろう。
そんなヘビーな過去を柔らかく解きほぐすように、思わず喉が鳴るグルメシーンが本作には盛り込まれている。オモニは買ってきた丸鶏にたっぷりのニンニク、高麗人参、ナツメ、クコの実を詰め込み、大きな鍋で、朝から時間をかけてじっくりと煮込む。オモニ自慢の丸鶏のスープ(参鶏湯)だ。黄金色に輝くスープは見るからに滋養満点で、全身をホッカホカにさせるに違いない。
オモニが朝から丸鶏のスープを仕込んだのは、ひとりの客をもてなすためだった。その客とは、ヨンヒ監督の婚約者・荒井カオルさんだ。フリーのジャーナリストであるカオルさんは慣れないスーツ姿で、ヨンヒ監督の実家に初めてのあいさつに訪れる。ヨンヒ監督よりひと回り年下のカオルさんがガチガチに緊張している様子が、ヨンヒ監督のカメラから伝わってくる。(2/3 P3はこちら)
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