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日刊サイゾー トップ  > 木曽義仲と巴御前、義高と大姫の“悲恋”

『鎌倉殿の13人』 義仲と巴御前、義高と大姫の“悲恋”と、生き残った女たちのその後

義仲の死に深く傷ついた大姫の悲しい運命

冷酷な頼朝を描く『鎌倉殿』 “クレイジー義経”は「一ノ谷の戦い」で本領発揮かの画像2
大姫(落井実結子)、源義高(市川染五郎)、北条政子(小池栄子)|ドラマ公式サイトより

 ドラマ第17回以降で、巴以上の“悲恋”として詳しく描かれるのは、木曽義仲の子息・義高(市川染五郎さん)と、その幼い婚約者の大姫(落井実結子さん)の身に起きた出来事でしょうか。

 義高が人質として義仲から頼朝に預けられたのは、わずか11歳の時です。大姫に至ってはまだ7歳でした。実は『吾妻鏡』などでも義高の名前には定説がなく、清水冠者(しみずかじゃ、志水の表記を使うケースもある)と通称で呼ばれることが多いのです。清水の名の由来も不明なのですが、「冠者」とは「元服したばかりの若者」という意味です。

 大姫と「清水冠者」こと義高は、伝説的な悲恋のカップルとして歴史的創作物の中で描かれてきましたが、“悲恋”と呼ぶには当事者2人がいささか幼すぎるのでは、と感じるところも筆者にはありました。しかし、『鎌倉殿』で本当に幼い少女として大姫が描かれているのを見ると、年少だからこそ、婚約者を失ったことで、心に深い傷を負ってしまったのかもしれないと感じるようになりました。

 『吾妻鏡』などに見られる“史実”では、頼朝が義高を殺そうかどうかと迷っていると侍女から聞いた大姫は、義高を逃がすことにします。わずか7~8歳の少女が、婚約者の逃亡を計画したとする『吾妻鏡』の記述を“史実”とは思いづらいところもありますが、同書によると、大姫は義高の近習(=側近)を替え玉にして寝所で寝ているように見せかけ、義高本人には女装をさせて鎌倉から逃亡してもらうことにしたといいます。しかし、義高は現在の埼玉県・狭山市あたりで頼朝が差し向けた武者・藤内光澄によって捕らえられ、殺されました。元暦元年(1184年)のことでした。ちなみに、義高に仕えていた二人の従者は頼朝に反抗的な態度を見せたのに、罪を許されて御家人として取り立てられています。

 大姫は義高を殺されてしまったことによる悲しみと衝撃で心を病み、文字通り「魂が抜けた」ような状態となって寝ていることが増えました。そのため政子は頼朝を激しく非難しました。ドラマとは異なり、史実の頼朝は身内からの“突き上げ”には非常に弱気な人物ですから、自分が義高殺害を命じたにもかかわらず、実行した藤内光澄を処刑、さらし首にしています。藤内にとっては、一家の揉め事に巻き込まれ、この上ない理不尽だったといわざるをえません。

 政子、そして頼朝の配慮にもかかわらず、大姫の「魂が抜けた」かのような鬱の状態は長年続き、「沐浴」さえまともにできない時期もあったようです。この時代の沐浴とは主に蒸し風呂に入るという意味で、身体の衛生を保つために全身を拭くとか、行水するなどとはまた少し別の目的で行う入浴です。

 義高の死後、約10年が経過した建久5年(1194年)になって、大姫は沐浴できるようになったそうです。沐浴が可能になったという記述が示すのは、自分の美しさを磨くことを意識するところまで大姫の心に回復の兆しが見え始めた、ということだと読むべきでしょう。そこで政子と頼朝は、頼朝の甥にあたる一条高能との結婚を大姫に勧めてみるのですが、「無理強いするなら入水自殺する」と彼女からは猛烈に拒絶されてしまいます。

 しかしその翌年、建久6年には頼朝と政子、そして弟(たち)とともに鎌倉から京の都まで大姫が旅行した記録があります。彼女の心理状態には波があったようですね。都では後鳥羽天皇の後宮に大姫が入内(じゅだい)することが真剣に協議されていたものの、一見、政子や大姫の味方のように振る舞いながらも影では後鳥羽との結婚を破談させようと画策した丹後局たちに翻弄されてしまい、すべては無駄となってしまいました。そのことがショックだったのか、大姫は建久8年(1197年)、20歳の若さで亡くなってしまっています。

 大姫とは「長女」というような意味で、彼女の本名ではありません。もし、後鳥羽天皇との結婚が成立していれば、本名が確実に記録として残されたでしょうから、彼女の呼び方も変わっていたと思われます。大姫が多少なりとも乗り気になっていた天皇との縁談が成功していれば、彼女の人生はまた大きく違っていたかもしれないと思うと残念です。もっとも、後鳥羽天皇はのちに鎌倉幕府と対立し、北条義時追討を命ずる人物なので、仮に結婚に成功していたとしても大姫の苦労は続いていたでしょうが……。

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堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:35
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