『鎌倉殿の13人』 義仲と巴御前、義高と大姫の“悲恋”と、生き残った女たちのその後
#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ勝手に放送講義
──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
『鎌倉殿の13人』第16回は予想通り、義経(菅田将暉さん)が大活躍でしたね。周囲からも「あれほど生き生きとされている九郎殿を初めて見ました」「引き絞られた矢が放たれたかのよう」と評されていましたが、武家として守るべき伝統や風習にまったくこだわらない奇抜な戦法を意気揚々と次々繰り出し、保守派の梶原景時とは何度も衝突するものの、最終的には計略のほとんどを成功させてしまい、その姿は景時にさえ「八幡大菩薩の化身」とまで言わしめるのでした。
「鵯越の逆落とし」の映像化はなかったものの、馬と人が別々に急な傾斜を下って奇襲をかけるようにするなど、三谷流の“読み替え”は健在で、なるほどね~と思わせるものでしたし、『平家物語』に見られる怪力エピソードを匂わせるような「馬を背負ってでも下りてみせます」という畠山重忠(中川大志さん)のセリフも含め、巧みに脚本がまとめあげられているな、と感じました。
読者のみなさんには、『鎌倉殿』の“クレイジー義経”はどう映っているでしょうか。「凡人」を圧倒する奇抜な「天才」を、18世紀の音楽家モーツァルトの逸話を使って描いた『アマデウス』という映画を想起させられ、この映画におけるモーツァルトのエキセントリックなキャラクターが脳裏をよぎった筆者でした。SNS上でも同様の投稿があったようですね。なにか底知れぬ不気味さが、『鎌倉殿』の「天才」義経にはある気がします。
また、次回の第17回は、義経にとっては“運命の人”といえる静御前が登場するようですが、ドラマには一度登場したっきりの義経の正室の「さと」(=郷御前)との関係はどう描かれていくのでしょうか……? さとにとっては、義経との関係は“悲恋”にほかならなかったのかもしれません。
『鎌倉殿』には他にも“悲恋”が溢れているようにも見受けられます。長年慕ってきた木曽義仲を失ってしまった巴御前が、和田義盛の妻(の一人)になったという『源平盛衰記』などに出てくる逸話を『鎌倉殿』は採用するのだな、と意外な気持ちになりました。
ドラマでは、義仲から鎌倉にいる嫡男・義高に宛てた書状を託された巴は、和田義盛の兵に見つかって戦闘になり、あわや命を落としかけますが、「そこまでだ!」と止めに入った和田義盛に「大した女だ。気に入った!」などと見初められてしまいました。
敗軍の女武者が「強さ」や「怪力」を評価され、敵方の武将からまるでスカウトされるように強く望まれ、妻になる例が『吾妻鏡』にも出てきます。『吾妻鏡』には巴御前は登場しないのですが、彼女と並び称される板額御前という怪力の女武者が捕らえられた後、彼女にとっては敵方の武将である浅利義遠(阿佐利与一)という弓の達人から強く望まれ、彼の妻になったという記述があります。
おそらく、その板額御前の逸話をアレンジしたのが、『平家物語』の異本である『源平盛衰記』に出てくる巴御前のエピソードでしょう。和田義盛が女武者・巴御前の強さに惚れ込み、巴のような剛の者に自分の子供を生んでもらいたいと頼朝に強く願い出て、彼らは結婚することになったという話です。ちなみに二人の間に生まれた男児が後の朝比奈義秀だという説もあるのですが、『吾妻鏡』によると、義仲の死の時点で朝比奈はすでに当時9歳くらいだったので、時系列的には合いません。
巴を演じている秋元才加さんは、インタビューで「華々しく義仲殿のために戦って散ったほうがプライドが守られる」「和田義盛さんに捕らえられて生きていくほうが不本意だったんじゃないか」と話していましたが、今後、母となった巴がドラマに出てくる可能性もありそうです。
『源平盛衰記』で描かれる巴も、捕らえられた当初は多いに不本意だったでしょう。しかし自害もせず、夫婦になったことを考えれば、それなりに納得して自分の人生の次のステージを受け入れていたような気もします。そう考えると、ドラマの巴は今後、義仲といる時とは違う表情を見せてくれるかもしれません。しかし、巴の人生はそれで平穏に終わったわけではないようです。和田義盛と息子の両方に先立たれた巴が、鎌倉を出て越中(現在の富山県)に向かい、91歳で亡くなるまでを当地で尼さんとして過ごした……という“伝説”もありますから。
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