異郷での生活はこの世の楽園か地獄の入り口か? “困窮邦人“を追った『なれのはて』
#映画 #パンドラ映画館
「フィリピンと日本の恥となる」と日本大使館は取材を嫌がった
フィリピンで路上生活を体験したことがあると語るのは、谷口俊比古さん(64歳)だ。日本では暴力団の構成員だった谷口さんは、10数年前にある事件を起こしたことからフィリピンへと逃亡。路上生活を余儀なくされたが、路上生活仲間からいろいろと教わり、自転車店の軒下に居候するようになった。軒下の居住スペースは、思いのほか暮らしやすそう。いつも早朝に起き、お店のある建物内をトイレも含めて隅々まで清掃し、開店準備を手伝うことで店長から週に一度お小遣いをもらっている。
コワモテの谷口さんだが、世話になった路上生活者たちとは陽気に言葉を交わし合う。また、軒下での生活ながら、拾ってきた子猫の世話をしている。谷口さんが子猫をかわいがる光景には、日本での居場所を失った男の哀愁が深くにじみ出ている。
最後に登場するのは、元トラック運転手の平山敏春さん(63歳)。日本では家庭を持ち、2人の子どもがいたが、離婚。フィリピンパブに通い詰め、単身でフィリピンに移住した。こちらで出会った年下のフィリピン女性に求婚し、貧しいながらも新しい家族と仲睦まじく暮らしている。
妻の連れ子を学校に通わせるために、借金してフィッシュボールの屋台を始めた平山さんだったが、仕事を始めて間もなく屋台そのものを盗まれてしまう。電気料金が払えず、夜は真っ暗闇で過ごすことも少なくない。それでもロウソクを灯し、子どもたちと楽しげに過ごす平山さん。日本に残した子どものことを考えると申し訳なく思うものの、今の状況ではどうにもならないので「考えないようにしている」と言う。異郷のスラム街での生活は、観る人によっては天国であり、また地獄でもある。
本作を撮るために、粂田監督は合計20回にわたってフィリピンに渡航した。「困窮邦人」をテーマにカメラを回し始めた経緯について、以下のように語ってくれた。
粂田監督「初めてフィリピンを訪ねたのは1999年ごろ。フィリピンでも活動している障害者支援団体のビデオを制作したことから、フィリピンでの上映会に招待されたんです。スモーキーマウンテンなどを巡り、面白い国だなぁと感じ、改めて一人でフィリピンを訪ねました。その際に強盗に遭い、お金もビデオカメラもすべて盗られました。リベンジしてやろうと思っていたときに、当時はマニラ新聞社に勤めていたノンフィクション作家・水谷竹秀さんが執筆した『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)を読んだんです。日本人相手の取材なら、言葉の問題もないなと思い、2012年から取材を始めました。フィリピンの日本大使館からは『フィリピンと日本の双方の恥になる取材はやめてほしい』と言われましたね(笑)」
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