ビートたけしがリスペクトし続けた伝説の芸人伝 『浅草キッド』が描く「お笑いゼロ世代」
#柳楽優弥 #劇団ひとり #大泉洋 #浅草キッド #Netflix
劇団ひとりが用意した「最後の浅草芸人」との別れの席
作家の井上ひさしは、「フランス座のエレベーターに不機嫌そうな若者がいた」と若き日のビートたけしのことを振り返っていたが、たけしが「浅草フランス座」で働き始めたのは1972年の夏で、1974年には漫才コンビ「ツービート」を結成しているので、浅草で下積み修行した日々はそう長くはない。それでも、芸人としてのスタート地点だった「浅草フランス座」と深見千三郎は、ビートたけしにとって大切な存在だった。
原作小説の『浅草キッド』は、深見のもとを出ていったたけしが漫才ブームに乗ってブレイクし、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の収録中、深見が急逝したことを知らされるシーンで終わっている。
深見千三郎は1983年2月2日未明、「芸人村」と呼ばれ、下積み時代のたけしも暮らしていた浅草のアパート「第二松倉荘」で起きた火事で亡くなっている。アルコール依存症となっていた麻里を前年に失い、ひとりで暮らしていた深見の寝タバコが出火原因だとされている。59歳の生涯だった。
映画『浅草キッド』のクライマックス、劇団ひとりは一時期は絶縁していた2人が浅草で再会するシーンを用意している。おそらく劇団ひとりは、たけし本人から直接聞いたのだろう。深見は亡くなる前夜、たけしと浅草を飲み歩いたそうだ。かわいがっていた弟子が、自分のもとを離れて大きく育ったことは、師匠にとっては寂しくもあり、またそれ以上にうれしかったに違いない。
深見千三郎の晩年の写真を見ると、今の50代とは比べ物にならないほどの貫禄がある。北海道の寒村生まれの深見は戦前から芸の世界で学び、戦時中は慰問劇団を結成しての巡業を続け、戦後は浅草文化黄金期の一役を担った。まさに浅草の「顔役」だった。大泉洋も北海道生まれで舞台に対するこだわりを持っているが、できることなら10年後にもう一度、深見役を演じてほしい。そのほうがずっと芸人としての味が出ているだろう。
柳楽優弥のタケシ役への狂気性をはらんだなりきりぶりに加え、歌手志望だったもののストリップに転身した千春役の門脇麦も、Netflixドラマ『火花』(16年)に続いての好演。歌って踊れるという、深見好みの芸達者ぶりを門脇は披露している。
お笑い第七世代と呼ばれる若手芸人たちが今のテレビでは引っ張りだこだが、お笑い界に革命を起こしたビートたけしはお笑い第二世代、公開収録形式のバラエティー番組にこだわったドリフターズや萩本欽一らがお笑い第一世代として位置づけられている。萩本の師匠でもあった深見千三郎は、そう考えるとお笑いゼロ世代ということになる。
萩本欽一によると、ビートたけしの芸風は深見千三郎にそっくりだそうだ。お笑いの歴史を知る上でも『浅草キッド』は見逃せない作品となっている。
■ Netflixオリジナル映画『浅草キッド』
原作:ビートたけし『浅草キッド』
監督・脚本:劇団ひとり
出演:大泉洋、柳楽優弥、門脇麦、土屋伸之、中島歩、古澤裕介、小牧那凪、大島蓉子、尾上寛之、風間杜夫、鈴木保奈美
Netflixにて、全世界独占配信中 https://www.netflix.com/jp/title/81317135
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