伝説の“美少年”を追った残酷なドキュメンタリー『世界で一番美しい少年』に見るアイドルの苦悩
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日本でアイドル活動をしていた“世界で一番美しい少年”
ドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』の序盤に映し出されるのは、『ベニスに死す』のオーディションの様子を記録した資料映像だ。北欧らしい美少年たちがオーディション会場に集まるが、ビョルンが入ってきた瞬間に空気が一変する。そのくらいビョルンの美少年度は突出していた。ヴィスコンティ監督は「えらく背があるな」など小言を漏らすが、表情は満足げだ。
家庭に恵まれなかったビョルンは、祖母に育てられた。祖母はビョルンの美貌を売り出すことに熱心だった。ビョルンは好きな音楽をやりたかったが、欧州全土で話題となっていたヴィスコンティ監督の新作のオーディションを受けさせられる。ヴィスコンティ監督に命じられ、上半身裸となり、カメラに向かって笑うよう強いられる。どこか痛々しさを感じさせるビョルンの表情も、ヴィスコンティ監督の心を揺さぶったのかもしれない。15歳の少年の運命は大きく変わり始める。
ヴィスコンティ監督は、ナチス政権によって翻弄される財閥一家の悲劇を描いた『地獄に堕ちた勇者ども』(69)などに起用した男優ヘルムート・バーガーと公認の仲だったことが知られているが、続く『ベニスに死す』のスタッフも、ヴィスコンティ監督と同様に同性愛者が多かった。ヴィスコンティ監督は、『ベニスに死す』の撮影期間中は「誰もタジオを見てはならない」という命令をスタッフに下していたとも言われている。
少年愛をテーマにしたこの異色作は、ヴィスコンティ監督のネームブランドもあって、芸術作品として好評を博し、フランスのカンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞。日本でも大ヒットすることになる。漫画家の池田理代子は、両性具有的存在のタジオをモデルにして『ベルサイユのばら』の男装の麗人オスカルを生み出したと語っている。タジオの妖しい美しさは、萩尾望都、竹宮恵子らが少女漫画界に起こした「美少年」ブームにも少なからず影響を与えたに違いない。
ビョルンは『ベニスに死す』一本だけで世界的なアイドルとなった。だが、アイドルになること以上に、アイドルとしてのブレイク後にどう活動を続けていくかという難しい問題が待ち構えている。ビョルンの祖母の考えは、「稼げるときに稼げ」だった。1971年末から72年にかけて、ビョルンは祖母の指示に従い、単身で日本を訪れる。明治製菓のチョコレート「エクセル」のCM撮影やCMソングのレコーディングを行ない、テレビ番組にも出演している。
60代になったビョルンは、懐かしそうに帝国ホテルを再訪し、当時の音楽プロデューサーらと再会。場末の飲み屋では、かつてのCMソング「永遠にふたり」をカラオケで披露する。「永遠にふたり」は日本語歌詞の歌謡曲だ。ビョルンは耳で覚え、レコーディングしたらしい。ビョルンにとっての日本でのアイドル活動は、夢の中にいるような奇妙な体験として残っていたようだ。
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