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土方歳三の謎に包まれた死…事故死だった可能性や国外逃亡説も?

土方歳三は実は生き延びていた!?

土方歳三の謎に包まれた死…事故死だった可能性や国外逃亡説も?の画像3
土方歳三

 関係者からの証言をまとめると、“土方の落馬の瞬間、彼の傍には沢忠助がいた。異変に気づいた安富才助も駆け寄り、二人は土方の死を確認した。安富は土方の愛馬を引き、五稜郭にまで報告に戻った。しばらくして五稜郭からは「市中取締役」の小芝長之助が遺体引き取り役として派遣されてきた”という経緯があったそうです。

 小芝は土方の遺体を背負って五稜郭に戻り、そこで穴を掘って埋めたとされていますが(『両雄士伝』)、しかし、その場所を「なぜか」具体的には伝えてくれていません。

 明治32年に行われた「旧幕府史談会」では、「(土方より遅れること5日後に戦死した)伊庭八郎(いば・はちろう)の遺体が、五稜郭の土方歳三の隣に埋葬された」という、小芝の証言を裏付けるような情報もあります。

 しかし残念ながら、土方と伊庭の遺体が埋葬されたとされる場所の土はすでに掘り返されていました。明治11年に土塁修復工事を受け、その際に出土した多くの人骨は、近隣の願乗寺に改葬されたのだとか。この中に土方や伊庭の遺骨があったかは不明ですが、願乗寺内でも後にさらなる改葬が行われたそうで、もはや真実を確かめる術はないのでした。

 このように謎の多く残る土方の死の前後には、現代人のわれわれの推論が入る余地が十分にあります。面白いのは「土方生存説」があることでしょう。落馬した土方は本当に死んだのではなく、仮死状態にすぎなかった。それゆえ、懇意にしていた函館の豪商・佐野専左衛門のツテでロシアに亡命した、というような“噂”が昔から囁かれています。

 ロシアというのは、“西南戦争で戦死したはずの西郷隆盛が実は生きていて、亡命した先だ”と噂された国でもあり、明治期の日本でこの手の噂に出てくる定番の亡命先のようです。しかし、当時の異国船は日本人を乗せたがらない傾向が強く、豪商・佐野の口利きくらいでは、ロシアとの間に濃密な接点が見いだせず、しかも明治新政府にとって厄介者の土方をロシア船が乗せてくれるとは思えません。

 しかし、それで土方の亡命可能性が潰えたわけではないのが面白いのです。ロシアよりずっと可能性が高いと思われるのは「フランス亡命説」です。旧幕時代にフランスから軍事顧問として招聘され、フランスからの帰国命令を無視してまで土方たちと行動を共にしていたフランス軍人ジュール・ブリュネ(映画『ラストサムライ』のモデル)たちが乗った軍艦が、函館沖にまだ停泊中だったという事実があるためです。

 「箱館戦争」の最終段階で、土方はブリュネらをフランス側の軍艦に乗せ、日本から送り出そうとしたのでした。しかし、ブリュネらはかつての盟友の最後を見届けようとしたのか、函館から出港せずにとどまり続けていたのです。

 “死や埋葬といった情報が少ないのは、土方が実は生きていた証拠であり、秘密裏に土方はフランスに渡った”という推論自体は可能のようで、筆者もこの噂の検証を行ったことがあります(興味のある方は、拙著『眠れなくなるほど怖い世界史』〈三笠書房〉をご覧ください)。しかし、土方は部下を見捨てて亡命するような人物ではないので、この手の話は「源義経がジンギスカンになった」というレベルの歴史ロマンだと受け止めておいたほうが賢明だとは思います。

 『青天~』の土方は、最後まで近藤勇の名を口に出しませんでしたが、興味深いのは、土方だけでなく、近藤勇の遺体もまた、今どこで眠っているのかがわからない状態になってしまっていることです。真の盟友同士だと、死後の状態まで似てくるものでしょうか。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 11:42
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