GG賞3冠!『イニシェリン島の精霊』はオジサン同士の泥沼離婚劇!?
#稲田豊史 #さよならシネマ
これは「何のたとえ話」なのか?
『スリー・ビルボード』で2017年の映画賞レースを総なめにしたマーティン・マクドナー監督が、またも小難しい映画を撮った。第80回ゴールデン・グローブ賞でミュージカル/コメディ部門の作品賞と男優賞、そして脚本賞の最多3冠に輝いた『イニシェリン島の精霊』である。
舞台は100年前のアイルランド、ど田舎のイニシェリン島という架空の島。ここに住む中年男・パードリック(コリン・ファレル)が、長年の飲み友達である音楽家の初老男・コルム(ブレンダン・グリーソン)から突然、絶交を宣言される。しかしパードリックは何ひとつ心当たりがない。「何かしたなら言ってくれ」と聞いても、「何もしてない。ただお前が嫌いになった」と言われてしまう。
困惑するパードリックはコルムに関係修復を試みる。しかし裏目に出て、関係はますます悪化。しかもパードリックの身に次々と「不吉なこと」が起こる。
結論から言えば、コルムが絶交したくなった理由は最後まで、観客全員が一様に理解できる具体的な形では語られない。わかったような、わからないような、現実的にはちょっとありえない、狐につままれたような展開と結末をもって、物語は終わる。
しかし、かといって不可解ではない。観終わってみれば、あのラスト以外にこの話のカタはつけられないよね、とも思える。奇妙に、納得してしまう。
シンプルながら思わせぶり。宗教的示唆に満ちた寓話。いったい何のたとえ話と解釈すればいいのか?
これ、夫婦の離婚プロセスそのものではないか。
不満は時限爆弾のように蓄積する
筆者は足掛け6年ほど、バツイチ男性に匿名で離婚の顛末を聞くルポを書いている。その中のいくつかのケースが、本作のさまざまなシチュエーションに酷似していた。
たとえば、絶交の理由をしつこく問うパードリックに対してコルムは、「お前のつまらん話に時間を取られたくない」「(人生の)残りの時間は思考や作曲に使いたい」などと答えるが、パードリックは納得できない。仮にそうだったとしても、なぜ昨日までの態度は普通だったのに、今日からいきなり拒絶モードなのか?
これぞ、離婚夫婦あるあるだ。
以前話を聞いたAさん夫婦がそうだった。ある日の朝を境に、Aさんの妻は子供を介してしかAさんと会話をしなくなり(「△△ちゃん、お父さんに会社から帰ってくる時間を聞いて」等)、目を見て話してくれなくなったという。Aさんに心当たりはなく、妻に「何か気にさわることを言ったんだとしたら謝る」と何度問うても、「別に」と言われるばかり。
その理由は後日、離婚の話し合い時に判明した。「細かい不満の長年にわたる蓄積」である。
いくら言ってもAさんが育児にコミットしてくれなかった。自分の仕事復帰に関して親身になって考えてくれなかった。Aさんの実家に帰省して連泊するのが苦痛であることを察してくれなかった。そんなことが、コップに一滴ずつ水が溜まるごとく、数年間にわたり妻の中に蓄積されていた。最後の一滴で溢れ出したのが、その朝だったらしい(最後の一滴が何だったかは、教えてくれなかったという)。
妻はコルムに、Aさんはパードリックに置き換えられる。Aさん夫婦同様、「最後の一滴」が何だったのかはわからないが、それが何であるかは、さして重要ではない。とにかくコルムの中で不満が臨界点に達してしまったのだ。パードリックは「ちゃんと説明してくれなきゃわからない」と苛立ちをぶつけるが、コルムは頑なに説明しない。
「妻に怒っている理由をいくら聞いても、頑なに説明しない」は、経験者ならばよくご存知だろう。説明しないというよりは、一言では説明できないのだ。彼女たちは、夫のあるひとつのふるまいに対して怒っているのではない。長きにわたる不実の蓄積に苛立っているのだ。そのうえで、怒りを細部にわたり言語化する労力すら惜しいほど、夫に失望している。
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