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マンガ『泣き虫チエ子さん』子どもを作らないことを選択する──益田ミリが描く“幸福論”

──サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が原作を務めるマンガ『ぼくたちの離婚』(集英社)が、3月18日に刊行される。これを記念して「月刊誌サイゾー」で連載中の「稲田豊史のオトメゴコロ乱読修行」から、「結婚・離婚」にまつわるテーマを選りすぐって無料公開します!

マンガ『泣き虫チエ子さん』子どもを作らないことを選択する──益田ミリが描く幸福論の画像1
『泣き虫チエ子さん』(著:益田ミリ/集英社文庫)

※2018年1月号より転載

 今の日本で、否、現在の文明社会で、これから結婚するカップルに言ってはいけない最凶の不適切ワードは、紛れもなく「子どもはいつ?」であろう。年齢的・身体疾患的・経済的な理由等で「子どもは欲しいが、不本意にも作ることができない」夫婦に対するデリカシーのなさは当然。加えて、積極的にDINKs(“意図して”子どもを作らない共働き夫婦)を選択する夫婦の人生観をも、土足で踏みにじっているからだ。

 ただ、今はダイバーシティ万歳の21世紀だ。DINKsという家族の形態も、子どもがいる家庭のそれと等しく価値があり、尊重されるべき―。そんな話を10年ほど前、取引先の40代男性にポロッと話したことがある。すると、ほろ酔いの彼はこんな趣旨のことを言った。

「共働き夫婦が結婚して1~2年もたてば、仕事の愚痴以外に話すことも共同で取り組むこともなくなるから、早いとこ子どもを作って共同タスクと会話のトピックを追加補充するに限る」。当時の筆者は密かに彼を軽蔑したものだ。

 しかし時は過ぎ、出版業界内における同業者DINKsのクソ高い離婚率を目の当たりにするにつれ、「実は“結婚、即、子作り”って、人間社会が長い歴史の間に確立した、完成度の超高いライフハックなんじゃ!?」などとつい考えてしまうこともしばしば。バツイチの彼らは言う。「相手のパーソナリティを掘り下げる系の会話は、交際時と結婚生活合わせて、いいとこ2~3年でネタ切れ。旅行やレジャーはイベントとして一時的に盛り上がるだけ。結果、日常生活で話す話題が仕事のことだけになった。うまくいっている時はいいけど、うまくいっていない時は壮大な愚痴大会になるので、2人でいても全然楽しくない」

 無論、夫婦関係は会話だけによって成立しているわけではない。が、会話のない夫婦が円満だと言い切れるほど、我々はアーティスティックな存在ではなかろう。

 そんな悲劇を避けるのが、件の取引先男性が言っていた「子どもの存在」というわけだ。日々変化・成長する子どもは、常に新鮮な話題を提供してくれる。パートナーへの人間的興味が最悪ゼロになったとしても、夫婦生活はギリ成立する。少なくとも子どもが自立するまでは。

 昔の人が、「結婚後すぐ子作り」を半ば常識として推奨していたのは、老いた自分たちの世話要員を戦略的に確保するため……とは限らなかったようだ。「子どもを持つ」とは、夫婦関係が破綻しないための最強のライフハック……なのか?

 それに対するアンチテーゼにして、子なし夫婦の特に女性側にとって格好の精神安定剤が、「YOU」で2010年~2015年に連載されたマンガ『泣き虫チエ子さん』(著:益田ミリ)だ。主人公は会社員16年目、結婚11年目のアラフォー女性、チエ子。職種は秘書。夫のサクちゃんは年上の靴職人で、2人の間に子どもはいない(理由は明かされない)。

 本作は、子なし夫婦の理想的生活を記した教科書と呼ぶにふさわしい。チエ子とサクちゃんは、大きな変化のない穏やかな生活の中で「幸福」と「相手への愛情」を見出し、言語化・確認・共有する作業を日々怠らない。「幸せ」とは何かをチエ子に問われたサクちゃんは「キミがいて仕事があること」と即答するし、チエ子はかなり頻繁に、サクちゃんのどんな部分を、どうして好きになったのかを反芻する(念のためもう一度言うが、2人は「結婚11年目」だ)。

 実に素晴らしい。ブラボーである。

 が、逆に言えば、「幸福」と「相手への愛情」を毎日バリエーション豊かに言語化できる、職業エッセイスト並みに感受性が豊かな2人でなければ、円満な子なし夫婦を営むことは不可能なのかもしれない。求められるスペックも必要な覚悟も、それなりに高いにもかかわらず、甘い見積もりで「子なし」を選べば、遠からず破綻してバツがつく。先の我が同業者たちのように。

 さらにチエ子は、「子どもがいなくても幸せ」であることを、あらん限りの婉曲表現と細心の注意を払って、自分に言い聞かせる。卑屈になることなく、後ろ暗く思うことなく、かと言って無理な強がりでもない、ごく自然体で今の「選択」を肯定する。プロの仕事だ。

 チエ子はプロにならざるを得なかった。それは、子どもがいる夫婦が子どもを作った理由を問われることはなくても、子どもがいない夫婦が子どもを作らない(いない)事情は、高確率で他人から「何か」思われるからだ。あるいは、油断すればふと湧き起こる自問に対して、常に「弁解」を用意しておく必要があるからだ。自尊のために。

 自問は定期的かつ頻繁に、ちょっとしたきっかけで突然訪れる。家族連れの多い遊園地や動物園やデパートの屋上で。地元の既婚子あり友達との同窓会で。親戚との集まりで。ランドセル商戦を扱ったテレビ番組や、七五三を報じるニュースで。

 自問はDINKs夫よりDINKs妻に訪れやすい。子どもを宿せるのは女性であり、その能力はデフォルトで社会的に「期待」されてしまうからだ。なんたる不公平。ゆえにチエ子は常に気を張っていなければならない。自分を傷つけず、周囲を攻撃することのない最高の「弁解」を、いつでも朗らかに即答できるように。VTR明けに司会から話を振られた瞬間、場がサムくならないようナイスコメントを発さなければならない中堅芸人並みの緊張感を、朝起きてから夜眠るまで強いられる。

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