山口組分裂騒動のキーマンとターニングポイント…誰がこの問題に終止符を打てるのか?
#六代目山口組 #神戸山口組 #沖田臥竜 #絆會
6年目に突入した山口組分裂騒動では、かつては同組織に属していた人物同士が時に対峙し、その後、手を握るような離合集散が起きてきた。そうした人の動きこそが、分裂騒動のターニングポイントを生み、六代目山口組が神戸山口組に対して圧倒的優位に立つという今日の状況に導いたといえるだろう。
本稿では、分裂騒動を動かしてきたキーマンとターニングポイントを、山口組問題に詳しい、作家の沖田臥竜氏に書き下ろしてもらった。
前線におけるキーマンとは誰となるのか
分裂騒動のキーマンは? と聞かれれば、多くの人は六代目山口組の司忍組長や髙山清司若頭、神戸山口組の井上邦雄組長、絆會の織田絆誠会長などの名前を思い浮かべるだろう。
だが、分裂騒動の前線では、そうした組織のトップとは異なる人物が体を張り、知恵を絞り、交渉などに奔走しているものだ。では、前線におけるキーマンとは誰となるのか。
山口組が分裂した後、世間的にも脚光を浴びたのは、現在は絆會(旧「任侠山口組」)のトップを務める織田会長であった。当時メディアは、神戸山口組・井上組長の懐刀として、同組の若頭代行というポジションにいた織田会長の一挙手一投足を追っていた。組織を代表して、メディアの取材に答えるなど、神戸山口組におけるスポークスマン的な役割を果たしていた面もあったといえる。この時、分裂騒動でのイニシアチブは、同会長にあったとさえ思えたほどだ。
だが、そんな時でも、山口組の誰しもがその存在を意識していたのが、当時、獄中にあった六代目山口組・髙山若頭だった。事実、その存在感の大きさは、髙山若頭出所後に、思い知らされることとなる。
元来、山口組のトップに君臨する六代目山口組・司組長は、山口組のシンボル的存在であり、いわば象徴となる。そのため、組織運営はもちろんのこと、政には携わらないとされている。そこで、実際に陣頭指揮を執るのが、ナンバー2である髙山若頭なのだ。
そんな髙山若頭が、2014年暮れに府中刑務所に収監され、社会不在になったことにより、その翌年に山口組の分裂は起こったのだと、多くの業界関係者が口にするほど、絶大な影響力を有していたことは間違いないだろう。そして、髙山若頭が出所すると、いや正確には、出所日である2019年10月に近づくに連れ、六代目山口組は活気付き、神戸山口組が劣勢へと立たされていったのだ。
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