【24年秋ドラマ】『嘘解きレトリック』第10話 異能者から抽出された普遍性「噓つきを信じる」というレトリック
#嘘解きレトリック
人の嘘を見抜けるという能力を持った探偵助手・鹿乃子(松本穂香)と、貧乏探偵・左右馬(鈴鹿央士)のコンビが殺人事件を解決したり、その能力について悩んだりするドラマ『嘘解きレトリック』(フジテレビ系)も第10話、こちらも最終回前となりました。
今回は、山間の村から出てきたばかりで「クリスマスをやったことがない」という鹿乃子のために、近所のみんながサプライズパーティーを開いてあげるという心温まるお話でした。
このドラマの舞台は昭和初期、そのころもクリスマスって盛り上がっていたのかなとちょっと検索してみたところ、「新宿帝都座うんこ撒き事件」なる文言が目に飛び込んでまいりました。盛り上がっていたどころか、狂乱だね。
振り返りましょう。
■3つのエピソードで「嘘解き」を解く
このドラマでは、鹿乃子の「嘘解き」の能力を活用して事件を解決する回と、鹿乃子自身がその能力と向き合いながら自身の運命を受け入れていく回が交互に放送されていますが、今回は後者でした。
クリスマス会を巡る顛末のほかに、あと2つのエピソードが語られています。
ひとつめは、鹿乃子が町中で遭遇したコソ泥少年の話。鹿乃子が探偵事務所のビラを貼って回っていると、逃亡中のコソ泥少年が目の前に現れます。背後からは「捕まえてくれ!」という声。やおらコソ泥の前に立ちはだかる鹿乃子でしたが、元来あまり運動神経のいいタイプではないので、あっさりと逃げられてしまいます。
しかし、徐々に援軍が加わり、ついに追い詰められてしまう少年。聞けば、世話になっている主人の大切な本を野良犬が破いてしまい、それと同じものを買うために本屋に行ったが所持金が足りなかった。店主が奥に引っ込んでいる間に訪れた客から、店番のふりをして小銭をくすねたとのこと。
まずは素直に、野良犬に破かれたと主人に言えばいいところですが、少年は「本当のことを言っても、どうせ信じてもらえない」とうつむいています。少年には、父親が物盗りで捕まったという過去があり、人に疑われ続けて生きてきたのでした。
「今の話だって嘘かもしんねえぞ?」
自虐的に笑う少年に、鹿乃子は即座に「嘘じゃないです」と断言してみせます。その鹿乃子の言葉は、少年の心にいたく響きます。鹿乃子が「嘘解き」であると知らない少年にとって、それは「あなたを信じる」という態度そのものでした。
そのころ、左右馬は町を訪れていた鹿乃子の母親・フミ(若村麻由美)と出会っていました。フミは鹿乃子の元気な姿を一目見るためにこの町にやってきましたが、会うつもりはないといいます。
この女性が鹿乃子の母親であることをすぐに察した左右馬は、のらりくらりと正体をぼかしながらフミを事務所に連れて帰ります。
フミは、鹿乃子と会うのが怖いと言います。また傷つけてしまうかもしれない。あの子は嘘がわかるから、私の言葉に嘘が混じっていたら見抜いてしまう。また傷つけてしまう。そう思い悩むフミを、左右馬は「嘘がわかるということは、本当がわかるということです」と諭し、再会を促すのでした。
村を出たとき、鹿乃子は母親に抱きしめられながらささやかれた「いつでも帰ってきていいんだよ」という言葉が嘘であったことを見抜いてしまい、二度と故郷には戻れないことを悟ります。以来、フミへの手紙にも住所を書かずにいましたが、ようやく左右馬の事務所という居場所を見つけ、「もう帰らなくても大丈夫だ」という思いに至って母親に住所を知らせていたのでした。
フミが鹿乃子に言った「いつでも帰ってきていいんだよ」という嘘の裏には、この村に帰ってきたらまたつらい思いをするから、という母の優しさがありました。
「私は鹿乃子が好き、大好き」
久しぶりに顔を合わせた母親の言葉に、ひとつも嘘は混じりませんでした。
■メリークリスマス!
そうして母を見送っていたとき、食堂「くら田」では鹿乃子のためのサプライズパーティーの準備が進んでいました。その準備中、不意に訪れてしまった鹿乃子に、食堂の女将・ヨシ江(磯山さやか)は嘘をつきます。にわかにショックを受ける鹿乃子でしたが、もうその嘘には何か事情があることを察することができます。
嘘を見抜ける能力を気味悪がられて村を追われ、その能力によって居場所を見つけることができた鹿乃子。それでも折に触れて「見抜けてしまう」ことに思い悩んできましたが、母親との再会を経て「嘘をついている人を信じてもいい」ということをすでに知っていたのでした。
鹿乃子の能力とサプライズの相性は最悪ですので、もともとこの企画に乗り気でなかった左右馬は、鹿乃子を不安がらせないためにパーティー前日にみんなの前でサプライズをバラしてしまいます。
穏やかに訪れた聖夜、まばらに散り始めた雪空の下で、鹿乃子と左右馬は互いに「メリークリスマス」と言い合います。もちろん、この「メリークリスマス」にも嘘はありませんでした。
なんていい話なんでしょう。すごくいい話だった。ちょっと涙きちゃったね。
探偵業にとって、嘘を見抜けるという能力は絶対的なチートです。第1話を見た限りでは、その能力の活用法を巡ってさまざまなバリエーションの事件が発生するとしか思っていませんでしたが、ドラマは「能力を持ってしまった者」の苦悩を丹念に描き出してきました。
鹿乃子の苦悩とは、その「嘘解き」という能力が探偵業においてだけでなく、人間関係を構築する上でも絶対的であるという思い込みからきているものでした。人を信じるか、信じないか。この人を信用していいのか、よくないのか。嘘を見抜ける自分は、相手の言葉からそれを正確に判断してきてしまう。だからこそ、相手は自分を怖がってしまう、関わりたくないと思わせてしまう。
最終回を前に、その鹿乃子の固定概念が解きほぐされることになりました。「嘘をついている人を信じてもいい」ということは、言葉の真贋によって相手の気持ちを判断できなくなるということでもあります。それはそれで鹿乃子という女の子にとって新たな不安を呼ぶ要素となるかもしれませんが、そんなのはみんな同じだもんな。「嘘解き」の能力があってもなくても、相手が何を考えているかなんて、本当のところはわからない。それでも、誰もが人と関わって生きていくしかない。
嘘を見抜く探偵助手というキャッチーな設定から、存外に普遍的なところに着地してきた『嘘解きレトリック』。鹿乃子も左右馬もとってもかわいらしいですし、あと1回でお別れなんて、ちょっと寂しいね。これホント。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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