ノーベル文学賞作家ハン・ガンが描く韓国の負の歴史…「光州事件」「4・3事件」とカルチャーの関係【前編】
#ハン・ガン
今年のノーベル文学賞を受賞した韓江(ハン・ガン)は、「光州事件」や「4・3事件」をテーマにした作品で、歴史の忘却に抵抗し、過去のトラウマに向き合う視点が特徴的だ。近年、K-POPだけでなくK-文学やK-ムービーも注目を集める中、これらの歴史的事件が作品で描かれることが多いが、その背景や実態については日本で十分に知られていないのが現状だ。そこで、このような題材が韓国のポップカルチャーでたびたび描かれる理由について、文化人類学者の土佐昌樹・国士舘大学教授に解説してもらった。
世界的に存在感を増してきた「韓国文学(K-文学)」
――アジアの女性として初めてノーベル文学賞を受賞した韓江(ハン・ガン)氏ですが、韓国人としては2000年に「南北首脳会議」を初めて実現させた功績を讃えられ、平和賞を受賞した金大中(キム・デジュン)元大統領以来、24年ぶりの受賞となります。分野は違いますが、今回の受賞についてどのような印象を受けられましたか?
土佐昌樹教授(以下、土佐) いろいろな意味で喜ばしい出来事には違いありません。しかし、文学というのは経済効果やわかりやすい成長指標とすぐ結びつく分野ではないため、韓国社会のはしゃぎぶりを見ていると、ゴールドラッシュでにわかに沸き立った一過性のブームを見ているような危うさも感じます。
――それはなぜでしょうか?
土佐 授賞理由に「過去のトラウマに立ち向かい、人間の命のもろさをあらわにする強烈な詩的散文」とあったように、韓江氏の小説には韓国社会の負の歴史や人間の弱さを見つめ直すテーマが多いです。たとえ、これを機に彼女の小説を初めて手にする人が韓国文化の優秀さを再確認したいと思ったとしても、その期待はすぐ裏切られることになり、ブーム自体は早晩過ぎ去るでしょう。
――BTS(防弾少年団)などK-POPグループが世界的な音楽賞を受賞したときと同じように、手放しでは喜べないということですね。
土佐 それでも、いろいろな意味で喜ばしいと述べたのは、主に2つの理由からです。第一に、そのような負の歴史を見つめ直す視線が一時でも社会の大きな注目を集めたこと。第二に、日本と同じく女性の地位が遅々として向上せず、それどころか近年は「女性嫌悪」の風潮が目立っている韓国で、女性の表現者にスポットライトが当たったこと。そういう意味で、この授賞は明らかにマイノリティに対するエンパワーメントの側面が強かったと思います。「日本原水爆被害者団体協議会」のノーベル平和賞受賞と同じく、すぐに金儲けに結びつく分野でなくても、人類の生存という大きな目的のためには、地道な実践や表現がどれほど重要なのか、改めて考えさせてくれるメッセージが込められていたと思います。
――2018年に『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)が日本でも29万部超えのベストセラーを記録して以降、同作のようなフェミニズム系の韓国文学が女性を中心に評判を呼んでいます。近年の「韓国文学(K-文学)ブーム」の人気をどのように考えますか?
土佐 まず、小説が代表する現代文学は、基本的にはすべて「世界文学」だと思います。アルベール・カミュやガブリエル・ガルシア=マルケスを読まずに小説を書いている作家は、世界のどこにもいないでしょう。そのような世界文学を吸収したうえで、日本の現代小説も書かれています。そして、今度は安部公房、大江健三郎、村上春樹といった作家の作品が翻訳され、海外でも読まれるようになっています。世界文学は閉じたものではなく、日々増殖を続けている生き物であり、「韓国文学」というものも、そうした動的ネットワークの一部として存在感を増しているということです。
その中でも、『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョ・ナムジュや『走れ、オヤジ殿』(晶文社)のキム・エランなど、女性作家の活躍が非常に目立っています。文学にはそもそもそういう傾向がありますが、彼女らの視線は社会の弱い部分に向けられます。それが海外の読者の共感を呼んでいるわけです。
――韓江氏の作品も『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)や『菜食主義者』(クオン)などが2010年代から翻訳されていたこともあり、ノーベル賞受賞前から日本でもその名は知られていました。
土佐 今のところ、韓国文学の海外での紹介は日本がもっとも進んでいると思います。それは、言語的文化的に近いという背景に加え、近代化に伴う同じような「正負の遺産」を共有しているからです。日本は少なくとも戦後は軍事政権にはならなかったわけですが、それでも経済成長優先で国民を動員し、効率のいい社会を作ってきた点はまったく同じでした。その成果として高い経済成長がありましたが、その裏には当然大きな副作用がありました。ストレスに満ちた競争社会を作った結果、高い自殺率、低い幸福度、いじめ問題、「ひきこもり」の蔓延など、両国が抱える社会的矛盾や社会病理の兆候は、驚くほど似ています。女性の社会的地位の低さも共通しており、だからこそ『82年生まれ、キム・ジヨン』は日本の女性に我がことのように受け入れられたわけです。
社会の弱さに向けられた女性作家の作品が、日本だけでなく新自由主義が進行するグローバルな規模で共感の輪を広げているとしたら、単純に歓迎すべき事態ではないでしょう。しかし、残念ながら世界は今そういう方向に向かっているのだと思います。
――なんだか、せっかくのブームなのにその背景を知るとモヤモヤしてしまいますね。
土佐 それと、日本で韓国文学のファンが多いのは、安宇植(アン・ウシク)や斎藤真理子など優れた翻訳者が地道に翻訳紹介してきた貢献も大きいと思います。私も文化人類学者として文化の翻訳を生業にしているため、なおさら痛感するのですが、たとえ韓国語は日本語と近いといってもやはり外国語なので、小説の緻密な表現を翻訳するという作業の難しさは、並大抵のことではありません。翻訳とは、言葉を単純に移し替える作業でなく、創造的に異文化理解の架け橋をすることだからです。韓江の小説の多くはデボラ・スミスというイギリス人女性が英訳したそうですが、ノーベル賞の対象になったのは、そうした翻訳者の貢献が非常に大きいと思います。
韓国の負の歴史「光州事件」と「4・3事件」とは?
――かつての韓国は朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領から全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領両政権の26年間にわたり軍事独裁国家でした。そして、「光州事件」は朴正煕元大統領の暗殺後に発生しています。
1980年5月18日、全斗煥将軍(当時)による軍事クーデターに抗議した学生・市民の大衆運動が、戒厳令を布いた韓国軍によって軍事鎮圧され、多数の死傷者を出します。しかし、その後、大統領となる全斗煥将軍は、この事件に関する情報のすべてを統制・隠蔽しました。光州事件が後の韓国社会に与えた影響は、どれほどのものだったのでしょうか?
土佐 それは簡単に測れるものではありません。戦後の日本ではなかなか想像できないと思いますが、自国民を守るはずの軍隊が市民に銃口を向け、大量の死傷者を出しても撃ち続けるということが、どのような論理と感情で可能となったのか……。とてつもなく重い問題ですが、同時に極めて単純な問題でもあります。要は、銃口を向けた相手を「敵」と思い込めばいいのですから。それは、あるときは「アカ(共産主義者)」、あるときは「暴徒」と定義づけられました。
しかし、本当の問題はそれからです。そのような悲惨な出来事を経たあとに、加害者と被害者が「同じ国民」として、どうしたらうまくやっていくことができるでしょうか? 和解や相互理解は可能でしょうか? そんなことは、端的に不可能です。そこには、永遠に解のない重い問いが立ちふさがるしかないのです。
――そのような背景もあってか、10月10日付「毎日新聞」の「ノーベル文学賞の韓江氏『美しさと暴力が共存する世界に苦痛感じる』」という記事では、彼女が韓国メディアのインタビューで「光州民主化運動が人生を変えた」と述べたことが紹介されました。
土佐 韓国がその後、民主化を実現した結果、暴徒の烙印を押された人々には名誉回復がなされ、犠牲者に対しては補償金が支給されました。政治的には一応決着し、光州は民主化運動の聖地と呼ばれるに至りました。しかし、それで本当に犠牲者の魂は救われるでしょうか? それはもはや政治の問題ではなく、宗教や文学しか扱えない魂の問題です。この問題にどう向き合うかは、韓国で表現者として生きていくにあたり、避けて通れないといったら言い過ぎかもしれませんが、それくらい重い十字架としてのしかかっていると思います。
――ところで、1988年に国民投票で大統領直接選挙制を軸とする憲法改正が実現し、盧泰愚(ノ・テウ)大統領が誕生した「第六共和国」政体になるまで、同国と日本の関係はどういうものだったのでしょうか?
土佐 韓国現代史には国家権力が引き起こしたいくつもの悲惨な出来事が起きていますが、その代表が1980年5月の光州事件と、1948年4月3日に始まった済州島民蜂起に対する虐殺、いわゆる「4・3事件」でした。後者は米軍政下に起きていますし、光州事件も米政府の黙認がなければ起きなかった可能性があります。日本の保守政権は、いずれに対しても黙認以上の介入をしようとはしませんでした。日韓いずれの政府も、人の命よりは経済的実利を重んじる姿勢であり、また大きな対価を払おうとも反共戦線を維持するための国家統合を優先していた時代でした。
一方で、韓国の反体制知識人と日本の知識人が支え合う面もありました。しかし、大江健三郎が韓国を代表する抵抗詩人、金芝河(キム・ジハ)に連帯を呼びかけたところ、逆に植民地支配の加害者としての責任を追及されたという苦い出来事もありました。政府同士の関係には欺瞞的な馴れ合いがあったと言えるかもしれませんが、かといって市民同士の関係もすぐ腹を割って対等にというわけにもいかなかった時代です。
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