Travis Japan中村海人「1年いてほしかった」と滝沢秀明氏に苦情…松田元太は大きくうなずく
#Travis Japan
Travis Japanが2日、フジテレビ系のお昼の生バラエティ番組『ぽかぽか』に出演。デビュー当時の「プロモーション不足」などについて、ジャニーズ時代にプロデュースを手がけていた現TOBE代表の滝沢秀明氏への“恨み節”ともとれる発言があったことでファンがざわついている。
Travis Japanは2022年3月、当時のジャニーズ事務所副社長でジュニアを統括していた滝沢氏に直談判する形で無期限の海外留学を実施。米ロサンゼルスを拠点にメンバー7人で共同生活をしながらダンスやボイストレーニング、語学の勉強などに励み、同年10月に全世界デビューを果たした。しかし、デビュー前後にプロデュースを手がけていた滝沢氏が事務所を退社し、それがグループに大きな影響を及ぼしていたようだ。
番組では、司会のハライチ・澤部佑が「世界デビューっていいんじゃないの」と話を振ると、宮近海斗は「僕らもきらびやかになると思ってたんですけど……」と切り出し、デビュー後のプロモーション不足に言及。「帰って来たらデビューを知らない方も結構いて。ネットニュースとかにはなったんですけど、追ってくれてる人しか(知らない)」と続けた。
通常、当時のジャニーズ事務所でデビューしたグループは大々的な会見やイベントがあり、それをきっかけに大掛かりなプロモーションが組まれる。しかし、宮近によると「僕らデビューしてから帰国してるんで、何か“機内モード”みたいな」状態でプロモーションがあまりなく、デビューした瞬間に「日本にいない」というスケジューリングの影響は大きかったようだ。
さらに「帰って来て音楽番組とか出させていただいたんですけど、『あれ、今拠点どちらですか?』みたいな。『帰って来てたんですね』とか。バラエティに出ても海外の話をして、デビューした感がまだ伝わってなかったんですよ。割とぬるっとというか」と語り、なぜか日本に帰ってきても「拠点は海外なのでは?」というアウェー感があったという。
実際のところ、グループの拠点が海外になるのか日本になるのか当時は方向性が定まっておらず、「いつ帰るか分からない。スケジュールも分からないので、ドラマとか大きなスケジュール取るもの。どっちになるか分からないので受けれませんっていう、中途半端な感じになってしまって。俺らもどうすればいいんだろうって」と本人たちも困惑していたそうだ。
本来ならそれを仕切る役割の「大人」がいるはずだが、中村海人は「(デビュー後の)だいたい1年とかは副社長とか社長が見届けるんですよ。でも僕たちの場合は帰って来たら副社長(滝沢氏)がいなくなっていたので。グループもそうですけど、レーベルだったり、マネジャー周りも全部最初バラバラだったんですよ。まとめてくれる人がいなくて」と告白。
続けて「だから、その人たちみんなと話し合いながらグループを固めていって、正直今も模索しながらやってるんですけど。やっぱこうね、1年はいてほしかったなとは思いますよね」と滝沢氏への“恨み節”的な発言が飛び出し、これに松田元太は大きくうなずいていた。
滝沢氏の退社については、当時後任となった井ノ原快彦が「引き継ぎなし」で出ていってしまったと明かしていたが、中村の発言を踏まえると、Travis Japanのプロデュースに関しても引き継ぎがなかった可能性が高そうだ。デビュー当時のプロモーション不足や方向性の混乱が「滝沢氏の退社の影響」であることが初めてメンバーの口から示唆されたといえる。
これを受けて、ネット上のファンからは同情や憤りの声が上がっている。
「どれだけ不安だったんだろうか。引き継ぎなしでトラジャやジュニアのメンバーを放り出して、オキニ連れて芸能事務所立ち上げとかありえないよね」
「うみくん、なかなか言いにくい事をはっきりと言ってくれてスカッとしました!」
「滝沢氏、遠回しに『無責任』って言われてるね」
「タッキーに振り回されて大変だったのに、自分たちで今の地位を勝ち取ったんだから立派」
デビュー当時は今ひとつパッとしなかったTravis Japanだが、最近は松田がおバカキャラでバラエティを中心にブレイクしたことをきっかけに注目度や知名度が急上昇。松田がTJポーズと共に「Travis Japan、トモノリジンナイ!」とボケる決めゼリフも浸透した。滝沢氏がいなくなってから自分たちで道を模索し、実力でグループを軌道に乗せたともいえる。
同日には、川島如恵留が体調不良で一定期間活動を休止すると発表されたが、このようなピンチも多くの困難に揉まれてきた彼らなら乗り越えることができそうだ。
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