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『おむすび』第46回 過去との矛盾が炸裂する結ちゃん、絶賛キャラ崩壊中のナベさん

橋本環奈

 NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第10週は「人それぞれでよか」だそうです。

 もはや言いがかりだと自分でも思うけど、なんか上から目線なんだよな、この結ちゃん(橋本環奈)っていう主人公が。「人それぞれでよか」っていうサブタイトルも、どこかジャッジメントする側というニュアンスがある。「人助けの呪い」も恩着せがましいし、調理実習の献立をサッチン(山本舞香)とカスミン(平祐奈)に作らせてきて適当にミックスしたものを提案したときも、「トラブルを丸く収めてやった」みたいな顔してたし。丸く収まってないのに。

 まあ、言いがかりです。第46回、振り返りましょう。

■悲しいときー!

 20年くらい前ですかね、いつもここからというお笑いコンビが「悲しいときー!」と叫びながら、イラストとともに悲しい瞬間あるあると羅列するフリップネタで人気を博したことがありました。

 今週は12年前に阪神・淡路大震災に遭った結ちゃんと神戸のみなさんにとっての、人それぞれの悲しいときが振り返られることになりそうです。

 市と商店街の共催イベントで炊き出しを行うことになって、結ちゃんは近所の人に祭り上げられてその献立を担当することになりました。単なるイチ専門学校生が市の予算を使うイベントで献立の責任者を務めるなんて、そんなことあるのかなと思いますけど、何しろ綿密な取材でお馴染みの『おむすび』ですから、そういうこともあるんでしょう。

 結ちゃんが学校の担任(相武紗季)に相談すると、担任は急遽、カリキュラムにない「大量調理」についての授業を開催。クラスメート全員で炊き出しの献立を考えることになります。

 昼休みにはすっかり打ち解けた班のメンバーと震災の日に何をしていたかおしゃべり。4人のうち神戸に住んでいたのは結ちゃんだけでした。

「うち、家が全壊した。それにお姉ちゃんの親友でうちも仲良かった人が亡くなって」

 当時のエピソードを振り返る結ちゃん。つらいことを聞いてしまったサッチンは「ごめん」と謝りますが、結ちゃんは「ほとんど覚えてないし、やけん炊き出しで何食べたかも覚えてないっちゃね」だそうです。

 この物語は結ちゃんと翔也(佐野勇斗)が出会い、互いに惹かれ合ったことから栄養士を目指しているというお話です。その結ちゃんと翔也の距離が縮まるきっかけになったのが、震災の日の話でした。

 あのとき結ちゃんは「あの日から時が止まっている」と言いました。1995年1月17日から、笑えなくなった。姉のアユ(仲里依紗)に対して、「マキちゃんのことも私だって悲しい」と食って掛かったこともあった。

 あのへんの結ちゃんの心象描写って、すごく唐突な感じがしてたんですよね。今回、結ちゃんが言った「ほとんど覚えてない」のほうが、実際のところしっくりくる。

 震災当日を描いた場面、今回も少し回想がありましたが、結ちゃんは状況をまるでわかっていませんでした。冷めたおむすびは「チンして」と言うし、確か「明日は保育園休みだ」って喜んでたような場面もあったし、マキちゃんが死んだことをナベさん(緒形直人)がみんなに告げたシーンでは、アユはリアクションしていたけど結ちゃんは画面に映ってすらいなかった。

「悲しいとき」のフォーカスが合ってないんです。神戸に来てからも時おりフラッシュバックしてるみたいな顔を見せる結ちゃんですが、何が悲しかったのか、いまいち伝わってこない。「おむすびが冷たかったときー!」と言っても、「マキちゃんが死んだときー!」と言っても、「全壊した家を見たときー!」と言っても、見ている側としては「そうだっけ? そんなに悲しんでたっけ?」と戸惑うしかない。ほとんど覚えてないなら、ほとんど覚えてない人として糸島編を描くべきだったのに、めちゃくちゃトラウマに囚われて震災が人格形成に大きな影響を及ぼした人物として描いてしまったから、実際に神戸に来たらあちこちに矛盾が発生している。というか、脚本のウソがバレている。

 今週も残念ながら、月曜日から失敗しているなぁという感触で始まりました。金曜には丸く収まるから別にいいけどな。

■ナベさん着々とキャラ崩壊中

 震災から数日後、お腹を抱えて苦しむ女児が「便秘」だと判明した瞬間に大量のワカメを運び込んできたナベさんには、さすがに天を仰いでしまいました。どういう人なんだ、これ。

 おそらくは様々な被災者から取材で聞いたエピソードをナベさんに当てはめているんでしょうけれど、もともと震災前にアーケードに反対していたあたりから度を超えた偏屈者として描かれていたので、震災で娘が亡くなってどう変わったのかがよくわからないんですよね。それでも当初は、墓参りを断ったりしてたので「悲しくてブッ壊れた人」という解釈で見てきたんですが、ワカメ持ってきたり、やっぱりアーケード作りを率先して牽引したり、まるで「被災者行動パターン詰め合わせパック」みたいな状態になってしまっている。

 小説家の天童荒太が東日本大震災をテーマに『ムーンナイト・ダイバー』(文藝春秋)という作品を発表したときに話を聞いたことがあるんですが、天童さんは「小説を書くために人の話は聞かない」と言ってたんですよね。

「お話を一度二度聞いただけでその人のことをわかったと思うのは間違いだし、どれだけ深く付き合っても、本音の部分なんてなかなか話さないと思う」

「それを取材して、聞いて、語ったから、この町の人はこんなふうに思っていると書いたら、それはとんだ間違いになる」

 どうやってフィクションを作るかなんて人それぞれだけど、ナベさんというキャラクターの造形を見ていると、このドラマの被災者に対する取扱いというか、スタンスの残念さがあらわになってる感じがして、ちょっとさすがに悲しくなっちゃうんだよな。

 悲しいときー、ですよ、本当に。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

 

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子です。

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最終更新:2024/12/02 18:00
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