【24年秋ドラマ】『若草物語』第7話 若き創作者は「想定読者」をどう失うか
#若草物語
恋愛とかオトコとかに見向きもせず、創作に没頭することに恍惚と不安を見出す若者を描いたドラマ『若草物語 ─恋する姉妹と恋せぬ私─』(日本テレビ系)も第7話。個人的には本作をそういう『ルックバック』(集英社)とか『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(劇団、本谷有希子)みたいなものとして見てきましたが、そうか、そういえば『若草物語』だったなと改めて思い直した回となりました。
今回も主人公のリョウさん(堀田真由)は1文字も書いてません。振り返りましょう。
■それは最悪の裏切り
プロットライターとして参加しているドラマの配信用スピンオフで、ようやく脚本家デビューを果たしたリョウ。その出来栄えは自分でも納得できるものでしたし、2年前に行方をくらましたままの妹・エリ(長濱ねる)にも絶対に見てほしい。いつものようにリョウがエリにメッセージを送ると、2年ぶりに「既読」が付くのでした。
見てくれたんだ! と慌ててエリに電話をかけるリョウですが、どれだけ鳴らしても電話には出てくれません。しかも、ただ出ないのではなく、呼び出し音が鳴っている途中にブツッと切られている。まったくわけのわからないリョウ、当然、仕事も手につきません。
エリは、リョウにとって最大の理解者だったはずです。恋愛に興味がないリョウにエリは大いに共感していたし、リョウは脚本家として、エリは女優としてドラマや映画の世界で生きていくという夢を語り合っていました。2人で「結婚しない同盟」を結成したこともよく覚えています。
そんなエリが姿を消したのは2年前。駆け出しの女優だったエリは事務所を辞め、部屋に荷物を残したまま忽然と姿を消しました。そんなエリの荷物の中から、大量の“社長の名刺”を発見してしまったリョウ。さらにわけがわからなくなってしまいます。わけはわからないし、こんな状態で恋愛ドラマのプロットなんて書けるわけないし、最近“オトコ”を出してきた幼なじみのリツ(一ノ瀬颯)のことも変に意識しちゃうし、もう最悪です。
一番下の妹・メイ(畑芽育)がチャチャッとリョウのスマホを調べたところ、リョウはエリにブロックされていることがわかりました。ブロックされてたら、電話になんて出るわけありません。代わりにリツがエリに電話をかけると、相手は何も言いませんが、漏れ聞こえてきた防災無線から郊外の漁村にいるらしいことが判明します。
リツに促される形で、2人ですぐさま漁村に向かうことにしたリョウ。その道中でも、リツはうっすらプロポーズめいたことを言ってきますが、とにかく混乱中のリョウに響くわけもありません。目的の漁村でバスを降りた2人はさっそく聞き込みを開始しますが、なしのつぶて。終バスを見送り、翌日も手がかりをつかめずあきらめようとしていたそのとき、リョウの目の前にエリが現れるのでした。
「見つかっちゃった……(てへ)」
農作業用の日よけ帽を深くかぶり、小さな女の子の手を引いているエリ。女の子はエリを「ママ」と呼んでいるし、エリの胸にはもうひとり乳幼児が抱かれています。それは、リョウが想像もしていなかったエリの姿でした。
そして「結婚しない同盟」の盟友だと思っていたリョウにとって、その姿は最悪の裏切りでもあるのでした。
ずっと会いたかった人に、会えたことで失うものもある。そういうお話。
■想定読者を失うということ
スティーブン・キングは、すべての小説を妻に向けて書いているといいます。リョウにとって、妹のエリは自分の作品を真っ先に読ませたい相手でした。エリがおもしろいと思うものを書きたい。それがリョウの創作における価値観のすべてだったし、だからこそエリとの楽しかった会話をトレースした例のスピンオフドラマをエリに見てほしかった。
おそらく、エリはそれを見たのでしょう。そして、リョウがまだ自分に向けて作品を作っていることを知り、ブロックしたのです。
「エリとは普通の姉妹ではない」
「なんでも話し合える相手だ」
そう言い張るリョウを周囲はやんわりとたしなめてきましたが、いよいよその現実を突きつけられることになります。
想定読者の存在は、創作者にとって目的地を示す地図のようなものです。次回以降、リョウがどんな形でクリエイターとしての道標を失うかが描かれることになります。
その後、リョウがどうするかはわかりません。「悩みがあっても、書くことで救われることもある」と言った師匠・大平かなえ(筒井真理子)の言葉通り書き続けていくのかもしれないし、改めて恋愛というもの、男性と一緒に生きるということに向き合っていくのかもしれない。
ドラマがそのどちらに進むかで、この物語が女性の生き方を描いた現代の『若草物語』なのか、『若草物語』の名を借りた創作青春物語なのかがわかってくるのでしょう。つまりは、作り手が今の魂のありかを告白していくことになるわけです。
いずれにしろ、赤裸々に書いてるな、ということは伝わってくるんですよね。このドラマの脚本家は腹を割って見せるということを恐れていないし、恥じていない。そういう作品には、やっぱりちゃんと向き合っていきたいよね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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