トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『おむすび』橋本環奈のニセモノ感

『おむすび』第39回 橋本環奈の「ニセモノギャル」感と、上滑りするコメディセンス

橋本環奈

 昨日の入学初日を描く回では主人公の結ちゃん(橋本環奈)のギャルギャルしい一面を強調して周囲の顰蹙を買うことで「思い通りにはいかないわ」感を演出したNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』でしたが、今日は一転、結ちゃんがギャルであることが忘れ去られたようなお話でした。

 思い返せば第2回だったかな、ハギャレンのルーリーを演じているみりちゃむというキャストについて、以下のようなことを書いたんですよね。

「ギャルの物語を作る上で『ギャルってどんな人なの?』という定義付けが必要になるはずですが、そこらへんをみりちゃむの仕草とセリフ回しに全部頼ることになっている。今後いろいろあって結ちゃんはギャルになっていくのでしょうから、それはそのまま橋本環奈がみりちゃむになっていくということでもある。」

「演技経験のないホンモノのギャル・みりちゃむに、本業の俳優である橋本環奈が芝居を寄せていくことになる。」

 皆目、見当違いでしたね。今回、結ちゃんが同じ班の女の子2人のケンカを仲裁するシーンがありましたが、あれ、ルーリーだったら「ちょっとちょっと、そんなことよりアゲ~!」の一言で軽ぅ~く解決してたんだろうな。

 ギャルになるはずのドラマで、いよいよ「ギャルになった」と設定されているのに、全然ギャルな芝居をさせてもらえない主演のハシカンさんが、どうにも窮屈に見えてきました。アユが「私のギャルはニセモノ……」とか言ってたけど、結ちゃんのほうがよっぽどニセモノなんですよね。

 第39回、振り返りましょう。

■コメディセンスもなぁ……

 今回は、結ちゃんたちが入学した専門学校のカリキュラムの紹介から。人体構造とか英会話とか、いろいろ学ぶべきことがあるようですが、ここで英会話の外国人教師に「ボケ」「カス」みたいな関西弁をしゃべらせて「日本語、誰に習ったんや」と結ちゃんに言わせるくだりがありました。こういうコメディセンスも、どうにもハマってこないんですよねえ。なんだろう、セリフを書く人が関西弁の「コテコテ」というエッセンスを「汚い言葉」としか解釈していない感じが伝わってきちゃう。意図としては、海外の人が関西の文化を深く理解している、その深すぎる理解の滑稽さを描きたいんだと思うんですが、「ボケカス言わせとけばいいんだろ」っていう投げ槍なアイディアをそのまま採用してるんだよな。「あの英会話の先生、いいキャラだよな」って言いたいのに、言わせてもらえない。

 サッチン(山本舞香)とカスミン(平祐奈)が言い合いになるシーンも、キャラ設定は個性的だし、最終的には2人の矛先が結ちゃんに向かっていくという展開はコメディタッチなのに、態度が極端なので微笑ましくならない、不快感が勝ってしまう。

 たぶん、底抜けに明るいドラマだったら成立しているニュアンスだと思うんですが、『おむすび』神戸編は「震災の傷」がベースにあって、見る側も基本的にはそういう覚悟で見ているので、こういう中途半端なコメディパートは、なんか顔に砂をかけられたような気分になるんです。だってその直後に、12年たった今でも娘の死に囚われて、社会的つながりを絶って墓の面倒を見ているだけの父親(緒形直人)が出てきたりするんだもん。

■トラジディセンスもなぁ……

 じゃあトラジディ、つまりは悲劇としてならいい感じなのかというと、そうでもない。

 その緒形直人が演じるマキちゃんパパですが、傷んだ家の建て直しを拒んでいるんだそうです。それはいいとして、人とまともに会話をしない人物として登場してるんです。この人、12年間、商店街で靴屋をやりながら生きてきたんですよね? あんな態度で、どうやって商売してきたのかというのが、全然見えないわけです。

 以前、『おむすび』というドラマについて「登場人物が連続した時間を生きていない」と書きましたが、まさにこのマキちゃんパパはそういう人だった。結ちゃんパパ(北村有起哉)に対して「神戸見捨てて、逃げたくせに」と言い放つシーンなど、まるで12年前からタイムスリップしてきた人にしか見えませんでした。

 もっと細かいところでいうと、社会人野球に進んだカッパがオフィスで働いていたシーン、なるみ姉さん演じる事務のおばちゃんがカッパたちを「あんたら野球以外何ができんの?」と罵るシーンがあるんですが、この会社は社会人野球の名門という設定だったわけで、野球しか知らない若者が毎年入社してくるはずなんです。それを、まるで初めて出会った人種であるかのように扱っている。ここも、人物が連続した時間を生きていないと感じるシーンでした。「ホンマ、毎年毎年……」って言わせれば一発で違和感を払拭できる話なのに、言わない。たぶん、こういうシーンが違和感を与えているとも思ってない。「嫌味なババァ」という記号を置くだけで満足してる。

 センスって言っちゃったけど、こういういろんなシーンの違和感や上滑り感って、丁寧にやれば潰していける部分だと思うんですよね。なんとかならんもんかな。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子です。

どらまっこあきちゃん

記事一覧

Twitter:@dorama_child

https://note.com/dorama_child

最終更新:2024/11/21 18:00
ページ上部へ戻る

配給映画