『おむすび』第35回 「避難所のおむすび」は関係ないのに……それはもうサブリミナルなのよ
#おむすび
NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』も第7週、「おむすび、恋をする」が終わりました。この週は高1の夏から始まり、高3の卒業間際まで一気に駆け抜けました。
その間、栄養士になる人の話なのにその人が初めて作ったお弁当を映さなかったり、震災の話なのに糸島で震度6弱を記録した福岡県西方沖地震をなかったことにしたりと相変わらず「大丈夫かよ」と思ってしまう要素は盛りだくさんでしたが、とりあえず米田結(橋本環奈)が楽しそうだったので、まあよかったんじゃないでしょうか。
「ギャルになる、ならない」に6週かけて、「栄養士になる」に1週だけというバランス感覚も「大丈夫かよ」と思うけど、過ぎたことですのでね。
第35回、振り返りましょう。
■床屋か散髪屋か、それが問題だ
個人的な話なんですが、父方の祖父母が兵庫・西宮の人でして、もう2人とも鬼籍に入っているのですが、関西弁をしゃべる人だったんですね。「床屋」って言ってなかったんだよな。「散髪屋」って呼んでたんです。「あんた散髪したんや」「散髪屋さん、今日休みやろ」って、うちのばあちゃんの声がまだ耳に残ってる。
だから、神戸で長年理容室を営んでいたという結ちゃんパパ(北村有起哉)が「床屋」って呼ぶたびに、ちょっと違和感があるんですよ。「全国理容生活衛生同業組合連合会」のホームページを見ると「床屋と散髪の境界線~東海北陸地域と近畿地域との間で日本を二分~」という調査結果が掲載されていて、主に東日本では「床屋」、西日本では「散髪屋」と呼ぶんだそうです。神戸のある兵庫県は「散髪屋」で、福岡は「床屋と散髪屋の両方使用」なんだって。
そんなわけで、かつて住んでいた神戸の商店街に空きテナントが出たことを知った結ちゃんパパは、移住を決意。父親であるおじいちゃん(松平健)を説得するのは難儀ですが、栄養士になると決めた結ちゃんにも、一緒に神戸に来るかどうか考えておくように伝えます。
無事に彼氏となったカッパ(佐野勇斗)も大阪の社会人野球に進むと言っているし、結ちゃんも神戸の専門学校に通うことにしました。それから半年、結ちゃんの高校卒業を待って、一家には神戸への移住の日が近づいていました。商店街のド真ん中のテナントで条件もいい物件だったそうですから、半年も空いてるとは思えません。おそらくすぐに契約して、半年は空家賃を払っていたんでしょうね。契約金と合わせて数百万になりそうだけど、けっこう金あるんだな、米田家。
それはそうと、あとはおじいちゃんを説得するだけ。でっかい鯛を釣り上げてゴキゲンなおじいちゃんを前に、やっぱりパパは言い出すことができません。
そこに、部活を引退してロン毛化したカッパが登場。「神戸に引っ越す日、決まったか?」と、メールでも電話でも一問一答で済む内容の質問を、わざわざ家までやってきて聞いてきます。それにより移住計画が発覚し、おじいちゃんが断固として認めない様子がコメディタッチで描かれました。
おじいちゃんが認めない理由は単に「さみしいから」ということでしたので、結ちゃんが休みのたびに遊びに来ることを約束して、無事解決。来週からは神戸編となるようです。
■ちょっと嫌なところと、すごく嫌なところ
カッパの来訪から日を改めて、結ちゃんがおじいちゃんを説得する場面。結ちゃんは、パパが農家が嫌で神戸に行くわけではないことを強調します。
「お父さんやって、同じ気持ちやと思う。大好きやなかったら、こんなに大事に野菜育てんよ。それでも、行ったらいかんと?」
いや、農家が大事に野菜を育ててるのは当たり前だろって思うんです。大好きかどうかじゃなく、お客さんの口に入る商品だからだし、それが仕事なんだから当然だろって。そういう当たり前に備わっているべき職業意識を特別視して“深い家族愛”を語る根拠にするあたり、ちょっとペラくて嫌だなと感じた次第です。
あと、すごく嫌だったところ。
結ちゃんが両親に「栄養士になりたい」と決意を告げるシーンで、その動機としてこう語ります。
「自分がやったことで誰かが喜んでくれたら、すごい幸せな気持ちになるんやって気づいた。一生懸命やっとう人を支える。そういう仕事が自分に向いとると思う」
だから栄養士っていうのも説得力が全然ないけど、あえて親に「好きになった男がきっかけで」とか言う必要もないので、それはいいんです。
この結ちゃんの言葉に重ねて、カットバックがあるんですね。フェスでパラパラを踊って、みんなが笑顔になる場面。第1話で小学生の帽子を拾うために海に飛び込んで、その小学生にトマトを食わせた場面。カッパのために弁当を作って、それを渡したときのカッパの笑顔。そうした糸島での思い出の最後に、アレが出てくるんです。
阪神・淡路大震災当時の避難所、おむすびを届けてくれたおばさん。そのおむすびを頬張る、幼少期の結ちゃん。
シーンの意味としては、あのおむすびを食べたときに「すごい幸せな気持ちになった」と言おうとしていることはわかります。でも、それはウソじゃんね。当時の結ちゃんにそんな意識はなかったし、避難所にいる意味も状況もわかってなかったし、おむすびが冷たいことに不満を感じて「チンして」とか言ってたし、すごい幸せな気分になってないよね?
「避難所におむすびを届けてくれた人」に着想を得て「主人公が栄養士になる」というドラマを作ろうとした。しかし、脚本は主人公が栄養士を目指すきっかけと、あの「避難所のおむすび」をつなげることができなかった。誰がどう見ても、それは関係なくなっちゃった。
関係なくなっちゃったことは明らかなのに、結ちゃんが「栄養士を目指す理由」を告白するシーンで「避難所のおむすび」の場面を挟み込み、あたかもそれが動機の一部であったかのように装っている。関係があったという、偽りの印象付けが行われている。
こういう手法を、サブリミナル・メッセージといいます。本来、映像におけるサブリミナル効果は人間の識閾下(1/3000秒とか)を狙って挟み込まれるものですが、やっていることの意味は同じです。都合のいいように、コンセプトとつじつまが合うように、映像によって錯誤を促してる。
天下のNHKがやっていいことじゃないと思うし、すごく嫌だったね、こういうの。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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