『光る君へ』道長の名歌「この世をば」に隠された実資への“雅やかなるいじめ”と三条天皇の悲壮感“終焉”漂う平安貴族しぐさ
#光る君へ
──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
『光る君へ』、前回・43回「輝きののちに」では、三条天皇(木村達成さん)の視力・聴力が衰えたことや、内裏が火事になったことなどを理由に、道長が執拗に退位を迫る様子が描かれました。
このとき、道長を演じる柄本祐さんは、まるで道長が心に麻酔をかけ、何も感じないようにして、天皇に退位を無理強いしようとしているかのような演技で、さすがでした。これまでのドラマの道長の描かれ方と大きく異なる言動をするようになった変化を受けてのことでしょうか。
来週の「望月の夜」(第44回)では、ついに道長の「この世をば」の歌が登場するようです。
「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」
多くの人がなぜか暗記している「国民的和歌」ではないでしょうか。「この世は自分のものであり、自分の権勢は今宵の満月のように欠けた部分などない」と道長は豪語しています。
史実でこの歌が詠まれたのは、寛仁2年(1018年)10月16日、ドラマでは現在、皇太后の長女・彰子(見上愛さん)が太皇太后(たいこうたいごう)になり、三条天皇の中宮だった次女・妍子(倉沢杏菜さん)が皇太后に。そして一条天皇の遺児・敦成(あつひら・石塚錬さん)親王の中宮に倫子(黒木華さん)との三女・威子(佐月絵美さん)を据えることにも道長が成功し、その前代未聞の「一家立三后」――自分の娘だけで、天皇家の三后を独占できた偉業達成を祝う宴の中でした。
「この世をば」の歌には少々、興味深い背景があります。
道長自身は日記『御堂関白記』にこの歌は記しておらず、これを道長から詠みかけられ、「流水に浮かべた盃が自分の前に戻って来る前に返歌を考えろ」と指名されてしまった藤原実資(秋山竜次さん)が彼の日記『小右記』に記したことで、後世に残されたという経緯があるからです。
前回のドラマでも、三条天皇からわが子の出世をちらつかされた実資が天皇の肩を持つようになり、道長に対立する場面がありました。しかし、最終的に天皇が実資の長男以外の人物を蔵人頭に選んだことで、実資の「三条天皇びいき」も消えてしまったようです。
史実の実資も道長より三条天皇にかなり接近した時期があったものの、それをやめ、再び道長のもとに戻ってきた経緯があるのです。それゆえ、おそらく「この世をば」というあからさまに自らの権勢を誇った歌を、わざわざ人前で、和歌が得意でもない実資を名指しにして返歌を求める形で詠みかけた背景にあるのは、平安貴族らしい雅だけれど陰湿な「いじめ」なんですね。
ちなみにこの時の実資はとっさに機転を利かし、「私などにはお返しできないほど優美なお歌ですから、みなさまでこれを唱和しましょう」と、あからさまに道長をヨイショすることでその場を乗り切ったのでした。
平安時代の公卿たちは日記を翌朝に書くのが通例なのですが、朝になっても、実資の心には昨晩の道長からの嫌がらせが残っていたので、「道長のやつめ、あんな下品な歌を詠みやがって!」という怒りを日記にぶちまけざるを得なくなったのでしょうね。このあたりをドラマがどのように映像化するか、見ものです。
なお、最近では道長が眺めた月は、実は「望月」――満月ではなく、少しだけ欠けた十六夜の月だったのではないかという説が研究者の間で唱えられたりしています(山本淳子氏説)。ただ、「わが世」というフレーズを和歌の中で用いるのは、それまで天皇か皇太子に限定されていたという文脈から考えても、この宴の晩における道長の全能感には凄まじいものがあり、本当は少し欠けた十六夜の月であろうが、それを「満月である」と言い切っても、参加者一同は反論できなかったのではないか……などと筆者には思えてならないのです。
次回予告で、ドラマの道長が「わが世をば」の歌を詠むシーンがありましたが、さほどおもしろくもないという様子で口ずさんでいるだけでした。筆者としては「そうきたか」という印象ですが、このあたりの歴史的事実の読み替えについても、次回の見どころとなるでしょう。とはいえ、『光る君へ』の道長の描き方では、やはり史実でたどる道長のギラギラとした魅力の一面にも迫れてはおらず、残念といわざるを得ない気もします
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