『ゴジラ-1.0』が地上波初オンエア、山崎版ゴジラの誤った“破壊目標”
#金ロー #ゴジラ-1.0
1947年の国会議事堂にいた政治家たちは……
小型原爆なみの破壊力を持つ放射熱線を吐き、ゴジラは国会議事堂を一瞬で消し去ります。国家権力のシンボルとして国会は破壊されたわけですが、劇中のゴジラが東京に上陸したのは1947年5月です。日本国憲法が施行された時期にあたりますが、実はこの頃の日本は保守党政権ではなく、日本社会党が第1党でした。吉田茂内閣から片山哲内閣に変わったタイミングです。日本社会党をはじめとする左翼系議員が多かった国会を、ゴジラは消滅させたことになります。
戦争責任者であるA級戦犯たちは、国会にはおらず、みんなまとめて池袋の巣鴨プリズンに収容され、東京裁判(極東国際軍事裁判)を受けているところでした。男女平等、婚姻の自由化などに努めていた左翼系の議員たちはゴジラの犠牲となり、A級戦犯たちは運良く生きながらえたことになります。A級戦犯たちの多くは、1952年のサンフランシスコ平和条約発効後に政界や経済界に復帰することになります。
もし、山崎版ゴジラが国家権力の象徴として国会を破壊したのなら、それは間違いです。逆にA級戦犯たちの復帰を、ゴジラは確実なものにしたことになります。あるいはゴジラのせいで、自民党による日本の戦後体制が揺るがないものになったという皮肉なのかもしれません。
山崎監督が撮る『オッペンハイマー』のアンサー映画
雑踏シーンに傷痍軍人やGHQの姿がないという疑問の声もありましたが、いちばん気になったのは敷島がゴジラと直接対決するクライマックスシーンです。往年の特撮ドラマ『ウルトラQ』(TBS系)の第14話「東京氷河期」に登場した冷凍怪獣ペギラと元零戦のパイロットが戦うエピソードを彷彿させることも一部で話題となりました。元零戦のパイロットが特攻を仕掛けることで、ペギラは退治することができました。同じように敷島も、敗戦間際に開発された局地戦闘機「震電」で決死の戦いをゴジラに挑みます。
軍隊では強い同調圧力がかかり、多くの若い兵士たちは特攻命令を拒むことができずに出撃し、未来ある命を失っています。戦争を生き残ったという罪悪感に加え、いちばん大切な人も失った敷島が悲壮感に駆られてゴジラとの対決に挑むのも、同じような構造ではないかと思うのです。クライマックスを盛り上げるための演出だとしても、日本人特有のそうしたヒロイズム、特攻精神を煽る演出には抵抗を感じてしまうのです。『ゴジラ-1.0』でいちばん残念に思うシーンです。オリジナル『ゴジラ』での芹沢博士(平田昭彦)や『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)の芹沢猪四郎(渡辺謙)のような悲劇は、もう観たくないのです。
公開当初はこうした問題点、疑問点がけっこう指摘されていたのですが、興行的に成功し、アカデミー賞にもノミネートされ、評価がどんどん高まるうちに、批判的な声は聞こえなくなったように思います。少数意見がかき消されてしまう風潮も、すごく日本的だなと感じました。
問題的も挙げましたが、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』(2019年)でゲーム愛好家たちを平然と敵に回した山崎監督には今後も期待しています。アカデミー賞を受賞したことで、企画開発における発言力も大いに増したはずです。クリストファー・ノーラン監督との対談では、米国側の視点から原爆開発を描いた『オッペンハイマー』(2023年)に対し、「日本側がアンサーの映画をつくらなくてはいけない」と山崎監督は語っています。
山崎監督が「アンサーの映画」を撮るとしたら、実写版『はだしのゲン』しかないんじゃないでしょうか。その際は、ぜひ時代考証に強い脚本家と共作することもお忘れなく。
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