『おむすび』第22回 序盤における最重要ピース「震災」をよく知らない男に語る必然性
#おむすび
震災当日が描かれた昨日ですね、天下のYahoo!ニュースに「『朝から観るもんやない』橋本環奈の『おむすび』突然の“震災描写”に困惑続出『浅い考えで扱ったらあかん』制作陣の“資質”問う声も」というタイトルの記事が出てました。配信元はSmartFLASHだったかな。Xに投稿されていた「どういう気概でこれ作ってるのかなと想像はします。若いスタッフなのかな。でも、これはあかんと思う。なにをしたいの?浅い考えで震災扱ったらあかんよ」というポストが引用され、「今後、『おむすび』はどう転がるのか──。」という、こじゃれた一文で締めくくられていたわけですが、さすがにこれには「浅い考えで扱ってるわけないだろ!!」という制作陣の怒号が聞こえてくる気がしましたね。
あと、こういうポストっていつも、なんで関西弁やねん。
というわけで、NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』は第22回。中学時代のアユの親友・マキちゃんが震災で死にました。振り返りましょう。
■あくまで結ちゃんの観測範囲における震災描写
震災の様子は、ドラマにおける現代の結ちゃん(橋本環奈)が、たまたま通りがかった野球カッパ(佐野勇斗)に語る形で振り返られます。
震災翌日、6歳だった結ちゃん(磯村アメリ)は、前日早朝の震災によって1階部分が完全に倒壊した自宅兼散髪屋を目の当たりにすることになります。頭上にあった「Barber YONEDA」の看板は地面に落ち、2階の窓が目の前にある。当時、ニュース映像で見た被災地の倒壊物件の姿です。
ちなみに阪神・淡路大震災のあった1995年1月17日の神戸の日の出時刻は7時6分。結ちゃんたちがほうほうのていで自宅から這い出したであろうころは、まだ薄暗かったに違いありません。初めて日の光のもとで見たひどい自宅の姿に、結ちゃんたちは大きなショックを受けることになります。
さらに、避難所に戻るとアユの親友だったマキちゃんのパパ(緒形直人)が頭に包帯を巻いて、座り込んでワンカップをあおっていました。マキちゃん一家は別の避難所に身を寄せていたと聞いていましたが、病院にいたんだそうです。「マキちゃんはどこ?」アユがマキちゃんパパの顔を覗き込んで尋ねます。
「……死んだ」
マキちゃんの家の靴屋は倒壊こそまぬがれたものの、マキちゃんは倒れたタンスの下敷きになって亡くなったのだそうです。
翌日になっても、食事ものどを通らないアユ。結ちゃんが差し出す魚肉ソーセージにも目もくれません。そして、パパが自宅から持ってきてくれた宝物の入ったカンカンを開けると、そこにはマキちゃんと写った写真や、マキちゃんからもらった安室奈美恵のCDが入っているのでした。
そんな一部始終を結ちゃんから聞いた野球カッパは思わず涙。「なんであんたが泣くん?」と結ちゃんが博多弁バージョンの秦基博を披露しつつ2人でメソメソしていると、おじいちゃん(松平健)が登場。結ちゃんとカッパを糸島フェスの打ち上げへと誘うのでした。
■カッパが泣き出したとき
カッパが泣き出したとき、あーよくないなぁーと思ったんです。
そもそも、『おむすび』の序盤における最重要シーンであるはずの震災当日のエピソードを、なんであんまりよく知らないカッパに語って聞かせる形で御開帳しているのか疑問だったんです。アユも帰ってきたわけだし、家族で一緒に振り返ったり、あるいはいつものように海辺で結ちゃんがひとりで思い返してもよかったと思うんですが、このドラマは「カッパに話して聞かせる」というスタイルを選択した。
そしてカッパが泣き出すことにより「カッパは人の心がわかるイイヤツ」という情報を付加し、さらにフェスの打ち上げに強引に誘うことによって、結ちゃんとカッパの距離を近づけようとしている。
人はみな、過去を振り返るより今を生きるべきだとは思うけど、よりによって震災を「結ちゃんとカッパの距離を急接近させる」ためのツールとして使っちゃってない? と感じるわけです。現時点で、結ちゃんがひた隠しにしてきたトラウマ、心のひだ、その何もかもをさらけ出す相手が、カッパである必然性が全然ないんだもの。ちょっと作劇上の下心みたいなものが垣間見えた次第です。
それも含め、幼なじみの陽太も書道部の風見先輩もそうなんだけど、このドラマって結ちゃんや周囲の男たちの「淡い恋心」みたいなものを描こうとすると、途端に直接的になってグロいんだよな。明日、描かれるであろうフェスの打ち上げも、ちょっとグロそうだな。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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