【24年秋ドラマ】『ライオンの隠れ家』第3話 強すぎる坂東龍汰のASD芝居と「不幸が降りかかる確率」の話
#ライオンの隠れ家
自閉スペクトラム症(以下、ASD)の青年・みっくん(坂東龍汰)とその兄・ヒロト(柳楽優弥)、それに突然舞い込んできた「ライオン」を名乗り、虐待痕のある謎の子ども(佐藤大空)の3人によるヘンテコ共同生活を描きつつ、なんだかハードコアなサスペンスの匂いも漂わせているドラマ『ライオンの隠れ家』(TBS系)も第3話。
公式ホームページでは「温かなヒューマンドラマと、先が読めないスリリングなサスペンス展開が心地よく絡み合い繰り広げられる今作」と紹介されていますが、今のところあんまり心地よくはないです。なんだかすごく「温かなヒューマンドラマ」と「先が読めないスリリングなサスペンス」がケンカしてる感じ。というか、「温かなヒューマンドラマ」たらしめているASDの青年・みっくんが良すぎるんだよなぁ。坂東龍汰が良すぎるんだわ。持っていかれちゃうのです。
振り返りましょう。
■圧巻のライブペイント
今回のハイライトは前半部分。みっくんの描いた絵がポスターに採用されている動物園で、展覧会が開かれています。その展覧会では、みっくんと一緒に働いているアーティストがライブペイントを行うことになっていました。
しかしその直前で、ライブペイントを披露するはずだった人が現場から姿を消してしまいます。トイレに閉じこもっているのを発見したみっくんは、その人から絵筆を託され、自らステージに上がります。なぜなら、ライブペイントは14時からの予定であり、その14時が来たからにはライブペイントが行われなければならないからです。すべてスケジュール通りに事が進まないとパニックを起こしてしまうみっくんにとって、それはごく自然な行為なのでした。
しかし、いざ描き始めようとしたタイミングで司会のマイクがハウリングを起こし、耳をつんざかれたみっくんは案の定パニックに。ヒロトはみっくんに恥をかかすまい、周囲に迷惑をかけさせまいとみっくんを壇上から降ろそうとしますが、頭を抱えてしゃがみ込むみっくんはその場を動こうとしません。
ここで、ライオンが救世主になることになります。みっくんが落ち着くアイテムである「いつものゴーグル」を差し出し、これによって落ち着きを取り戻したみっくんは無事に復活。見事なライブペイントを披露するのでした。
この一連のシーン、やっぱり持っていかれちゃったんですよね。ライオン(動物のほう)の絵を描き進めていくみっくんの一挙手一投足から目が離せなくなっちゃったし、出来上がった絵が映し出されたら「すげえな」って口に出してしまった。当然、美術さんが用意したものに違いないのに、一瞬みっくんが描き上げたと思ってしまった。ライオン(子どものほう)の出現によって、みっくんはヒロトが見たことのない顔をしている。後半にはみっくんが自分とヒロト、それにライオンが並んだ絵を描くシーンがあるんですが、ヒロトは「みっくんが人間を描いたのは初めてだ」と言うんです。たった3話で、みっくんという青年の変化に感動してしまう。ヒロトのこれまでの苦労が垣間見えてしまう。ホントにこのへん丁寧に作ってるし、何度も言うけど板東くんがすごいわ。
そして後半はサスペンスへ。ニュース映像を見てライオンの名前がどうやら「愁人」であること、どうやら姉・愛生(尾野真千子)の子どもであること、そして愁人ことライオンの父親(向井理)の存在を知ったヒロトは、その父親に会うために山梨へ向かいます。ライオンの面倒は市役所の同僚の牧村さん(齋藤飛鳥)が見てくれることに。
山梨でヒロトは、同じようにこの行方不明事件を探っている週刊誌記者(桜井ユキ)と知り合い、行動を共にすることに。高そうなキャバクラで楽しそうにお酒を飲んでいる父親の姿を見て、何も話すことなく帰宅するのでした。
ライオンの面倒を見てくれた牧村さんが実は「X」と裏でつながっていたり、母親と思われる遺体が上がったりして、次回へ。今回も新たに謎を積み重ねつつ、詰め込みましたねえ。
■たぶん、すごくがんばっている
「温か」パートと「スリリング」パートをつなぐためにヒロトという人物を動き回らせなければならず、その分、ヒロトの行動に不合理が起こることもあるんですが、すごくがんばって脚本を練ったのだろうな、ということはビンビンに伝わってきます。冒頭で心地よくはないと書きましたが、双方向にきっちり尖っているということでもあると思うんです。サスペンスのほうのキーになりそうな人物に向井理を置いていることからしても、こっちはこっちで相当力が入っていることがわかる。
今のところ「温か」のほうが訴求力が高いのでバランスがよくないと感じますが、これは回を重ねて謎が解かれていくにつれて、整っていくような気がします。
それと、ちょっと反省しなきゃなとも思ったんです。前回から「サスペンスはいいから、もっとASDみっくん見せろ」という気分だったわけですが、これはサスペンス部分が不穏すぎて、みっくんに悲劇が降りかかってほしくないという気持ちだったのかもしれないと思ったんですね。こんなにがんばってるASDの青年に悲劇は似合わないだろと。
でも、それって差別につながる考え方なんだよな。ドラマの中で普通に暮らしている市井の人に不幸が降りかかるなら、平等にASDの青年にも不幸が降りかかるべきなんです。「平等にASDの青年にも不幸が降りかかるべき」ってすごい言説だなと自分でも思うけど、その確率も平等であるべきと考えたほうが、健全な気がしました。勉強になるね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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