『光る君へ』三条天皇からの関白就任依頼を断る道長、そして孤立する帝と黒幕としての道長をどう描くか
#光る君へ
黒幕・道長を大河はどう描く?
また、ドラマでは病中の一条天皇についての彰子のセリフで、帝は「苦しい思いをしておる民の心に少しでも近づくため」、たとえ寒くても火を起こさず、厚着もしないと心配していましたが、ほんとうにそんなに「名君」だったのか?という疑問を今更ながらに抱いた読者もいると思います。『光る君へ』では史実とは異なり、道長をあくまで「正義」として描き続けているので、道長と対立したことがある人物はいきおい「悪」として描かれがちです。一条天皇も定子との色恋に昼間から溺れ、不適切な人物を国司にさせても平気で、それを道長から責められても開き直るなど、とても「名君」には思えない描かれ方をしてきました。
では、一条天皇が寒夜を薄着で震えて過ごす天皇の像はどこから来たのでしょうか。実はこれは藤原道長の子孫で、平安時代末期の公卿・藤原忠実の証言なんですね。忠実といえば、2012年の大河ドラマ『平清盛』で、國村隼さんが演じていた役といえば思い出す人もいるかもしれません。
忠実は一条天皇崩御後も長生きした彰子(上東門院)の言葉として一族に伝わっている「寒い夜にはわざと上着をお脱ぎになった」という口伝を披露しています。「日本国之人民の寒かる覧に、吾カクテあたたかにてたのしく寝たるが不便」(京都御所東山御文庫蔵『富家語抜書』)――庶民が寒くて凍えている夜に私だけが暖かく快適に過ごしているのは不憫という意味ですが、一条天皇が「人徳者」であり、その御代も「聖朝」として崇めるようになっていたのが平安時代末の貴族だったということでもあります。まぁ、そんなことだけで本当に貧しい民が具体的に救われるわけもないのですが……。
ドラマではほとんど描かれませんでしたが、一条天皇は倹約令なども出させています。ただ、道長など有力貴族に頭を抑えられてしまっているので、自分が本当に思ったような政治はおろか、譲位の時期、後継者の人事まで通らないつらさを経験した帝が一条天皇でした。
逆に、そういう一条天皇の御代は、藤原道長の子孫にとっては自分たち摂関家の意向がすべて反映された「黄金時代」でしたから、それを「聖朝」だと言いたくなる気持ちはよくわかります。
最後に、次回予告で天皇に即位できた三条天皇が「関白になってくれないか?」という打診をしたあたりの部分について補足しておきますね。史実では道長は三条天皇から関白職の打診をうけたのに断っています。関白になると、公卿たちの会議(陣定)に出られなくなって、会議をわが意のままに操ることができないからだと思われます。道長にとっての三条天皇は早くに亡くなった実姉・超子の息子にあたり、叔父と甥の関係なのですが、ドラマにも超子が登場しなかったように、道長にとっての超子は詮子(吉田羊さん)のように距離が近い姉ではなかったことが影響し、三条天皇に対しても「身内」という感覚ではなかったようですね。
道長から冷たくあしらわれ、朝廷内で孤立する一方だった三条天皇は、藤原実資(秋山竜次さん)に助けを求めますが、実資も道長に反旗を翻すようなことはありませんでした。おそらくこういう部分についても、ようやく悪役っぽくなってきた道長の采配というより、三条天皇の人間的欠陥が理由であるかのようにドラマは描く気もしますが……残り話数少なくなってきた『光る君へ』、どう見ても道長を黒幕として描かざるをえない局面をどのように乗り切るのでしょうか。
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