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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『嘘解きレトリック』「よい原作改変」とは何か

【24年秋ドラマ】『嘘解きレトリック』第3話 原作の魅力を増幅させる「よい改変」とは何か

松本穂香(GettyImages)

 ススキ茶というのがあるんだそうですね。ススキの穂や茎を鍋で炒ってお湯を注ぐと、まるで玄米茶のような香ばしいお茶になるんだそうです。

 今回、このススキ茶が登場したドラマ『嘘解きレトリック』(フジテレビ系)。第3話にあたる原作コミックにはススキがいい感じの場面で登場しますが、ススキ茶は登場しません。

 ドラマの前半にススキ茶を登場させることで、もともといい感じの場面だった後半のススキが登場するシーンが、よりいい感じになっています。よい原作改変というのは、こういうことを指すんだと思うんですよ。原作にあるエピソードの魅力を、より増幅させるために手を加えている。ススキ茶の話だけじゃなく、『嘘解きレトリック』ではおおむね、そういう作業が成功しているように思えます。

 振り返りましょう。

■めっちゃいい話だった……

 今回は、探偵助手となったウソ聞き分け娘・鹿乃子(松本穂香)と探偵・左右馬(鈴鹿央士)がバディとして事件を解決するわけではなく、鹿乃子の「ウソを聞き分ける能力」についてのお話。まずは、鹿乃子の能力についての厳密な検証から始まりました。

 鹿乃子の能力は紙に書かれた文字のウソには反応しないこと、視覚とは関係なく声のみに反応することがわかります。加えて、「明日は晴れる」「明日は雨が降る」と相反する内容をしゃべったとしても、未来のことはわからないので、どちらもウソとは判定されない。つまり、博打には使えない。しかし、しゃべる人間が「明日は晴れる」と思っているにもかかわらず「明日は雨が降る」と口にすると、それを鹿乃子センサーは「ウソ」と判定する。こういう超能力の発動条件って、曖昧にしておいたほうが後々都合がよさそうなものですが、わりと厳密に定めていくところに、このドラマのストーリーテラーとしての余裕を感じます。

 そうして能力についてのお話が終わると、今回はひとつの小さな事件を通して「能力者」のお話が語られました。

 左右馬が、友人である警察官・端崎(味方良介)にひとつのウソをつきます。鹿乃子の目の前で、鹿乃子に見破られるとわかっているはずなのに、平然とウソを言っている左右馬。鹿乃子はそんな左右馬の真意を測りかね、困惑してしまいます。

 能力者であったがゆえに、育った村で疎まれ、居場所をなくしていた鹿乃子。その能力を「便利だ」と言って自分を使ってくれた左右馬に感謝の気持ちはありますが、やはりこの能力が左右馬にどう思われているのか、気味悪がられているのではないかという心配は尽きません。

 しかし、実は左右馬は、鹿乃子が自分のウソを見破っていることを理解した上で、端崎を騙していました。それは端崎に対する優しさでもあったし、鹿乃子への信頼を改めて示すためでもありました。

 左右馬は鹿乃子の不安を察したうえで、本当に「受け入れているのだ」と伝えるために、能力者である鹿乃子の能力を手玉に取って見せたのでした。鹿乃子は、自分の「ウソを聞き分ける」という能力があまりに恐れられ、疎まれてきたことにより、その能力を「万能である」「狂暴である」と思っている節がある。しかし、左右馬にとってそれは容易く利用できるものであり、その能力ごと鹿乃子をコントロールし得る類のものだ、だから自分は鹿乃子を恐れないし、気味悪がらない。それだけ受け入れているのだ。

 そういうメッセージは鹿乃子を心の底から安心させるものでしたし、鹿乃子が改めて左右馬に対するリスペクトを抱くにあまりある一連の左右馬の行動でした。

「一緒にいるから悩むんだからさ、一緒に抱えるよ」

 その左右馬の言葉は、鹿乃子の胸をしこたま打ちました。ススキが風になびく夜に包まれて、空を見上げて鹿乃子は思わずつぶやくのでした。

「月がきれいですね」

 この「月がきれいですね」も、原作にはないセリフです。こういうところよ、ステキな原作改変。いやあ、ステキ。

■原作との大きな違い

 ドラマ『嘘解きレトリック』が原作コミックともっとも大きく違う要素は、当たり前なんだけど、人間が演じて、カメラで撮影しているということなんですよね。コミックではわりとコメディとシリアスを行ったり来たりしながら、キャラクターの頭身や表情のタッチを描き分けることでテンポを出しつつお話を進めているわけですが、人間が演じているドラマでは、松本穂香がいきなり3頭身になったり、目と鼻が消えてメガネと口だけになったりすることはできないわけです。

 その代わりドラマでは何ができるかというと、作者の違う人物を登場させることができるんですよね。コミックでは、同一の作者による人物はどうしても同じ世界観に見えてしまいますが、ドラマでは違う作者、この場合の作者というのは親御さんという意味ですけれども、鈴鹿央士や味方良介といった劇画的な美顔と、大倉孝二や今野浩喜といった写実的な庶民顔を同居させることで、主人公周りのキャラクターを浮き立たせることができる。

 実写ドラマの中で左右馬というキャラクターが浮世離れしたヒーローとして映るのは、そういう顔面のタッチのギャップが作用しているわけです。

 総じて、冴えた原作を冴えた人たちが実写化してるなと感じます。次回はいよいよ人が死ぬようです。人死にはミステリーの華ですからね。楽しみです。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

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最終更新:2024/10/22 17:00
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